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親の介護がしんどくて死にたい気持ちが強い

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有り難し有り難し 19

去年の8月くらいに(父親が)コロナウイルスで入院して退院したころから様子がおかしいです。
(入院する前までは2階の部屋で生活していたのですが)1階で生活するようになってから大声で何度も怒鳴り散らしたり(少しでも気に食わないことがあると)私に向かって暴言を吐いたりしてきます・・・
(例えば)[自分のお金を返せ]とか(ちなみに本人の年金の中からデイサービスやヘルパーさんへの支払い、介護費用等で工面しなくてはいけないので残るほどの余裕はありません・・・)
他にも[私の母親とグルになっているとか](何を言っているのかは分かりませんが・・・)(父親からお金をもらって介護しているわけでもないのに何故毎日怒鳴られなければいけないのかわかりません・・・)
そのほかにも喧嘩になると私の母親に暴力をふるったりしてきて私自身うつ病で精神的に参ることが多いです・・・
よく親の介護で(自殺する人の話も聞きますが)私自身あと何年生きられるか自信が無いです・・・(施設育ちの影響かある程度の忍耐力はあるのですが身が持つかどうか分かりません・・・)
毎日死にたい気持ちが強いです・・・
(それでも)自分の親だから仕方ないと割り切って毎日介護してはいますが・・・
何か苦境を乗り切るアドバイスがあればよろしくお願いします。

2025年3月11日 17:52

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お父さんを神さま・仏さまと思って接する

TOMOさん
拝読させていただきました。

認知症になると被害妄想もでてくるそうです。一生懸命お世話されているのに感謝されるどころか、暴言・暴力が返ってくるのはやるせないですよね。
本来でしたら、一人で抱え込まずにもっといろんな人の協力をお願いできたらと思うところですが、これ以上の協力を望むことが無理で、自分が向き合うしか方法がないようでしたら、お祈りをすることが良いのではないかと思います。

お父様に対してネガティブな思いが鬱屈しているかと思いますが、お父様に顔を合わす前に、 「お父さんが今日も幸せになっていただきますように。」とお父様が幸せになってニコニコして輝いている姿を思い描き、ネガティブな気持ちをリセットします。そして、お父さんをお父さんとは思わずに、神さまか仏さまであるかのように思って、荒ぶる神さま・仏さまにご機嫌になっていただけるよう、お仕えさせていただくという気持ちで接していかれたら、例え嫌なことをされたとしても、受け取り方が変わってくると思います。

一生懸命介護されているのだから、ご自分のことを責めないで下さいね。

これでしたら、お金もかかりませんし、今日からでもできることなのでやってみられたらと思います。参考になったら幸いです。

2025年3月11日 19:22
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有り難し
おきもち

家庭にあっても天下のおおやけ人、公の態度で処する姿勢。

本当に大変ですね。おつかれされまです。
まずは、問題を混同・MIXしないぞ、と念じます。
一つ一つのことを分離独立して対処しましょう。
私たちが果物や野菜に接する際に、リンゴの時はリンゴ、ミカンの時はミカン、ピーマンの時はピーマンで、別々のものでありますように、問題の一つ一つ、やらなければいけないコトを一つ一つ別々に捉えていきましょう。
それが私たちの脳のものごとの上手な処理の仕方であり、迷ったりいっぱいいっぱいにならないための良策です。
①まず不機嫌な時。それはお父さん本人が体や精神の不調がしんどくてイラついてしまうだけ。誰でも許容範囲を超えて体がしんどい時に冷静に、上品にふるまうことは困難です。
だから、ああ、オヤジ、今すげーしんどいんだろうな、と同調してあげるだけでいいです。代わってあげることはできませんから、お父さんの心の選択がよいものにむかうようにしてあげましょう。オヤジの心を良いものに目を向けるように、今の辛いことから目を離すだけでもいいからよい方に、と。
②お金を返せ云々
将来が経済的に心配なのかもしれません。大丈夫だよ、お父さんを死ぬまで俺が面倒見てあげるから、あの世にちゃんと送金するから、と冗談を言ったりして、経済的に今大変なことを笑ってお話して、不安を取り除いたり、より費用のかからない方法をみつけて、こういう風にしたからこれからはお金がかからなくてすむよ、と助言をしてあげてください。
③お母さんとグルだ妄想に関しては、おふくろもオヤジのことがいやだったらとっくに出て行ってるから優しくしてあげなよ。心配だ、何とかしてあげたいって言ってたよって、間接的に愛情表現を伝えてあげましょう。本人がしんどくて不安なのです。
④お母さんにDVの際は完全にどっちにもつかないレフェリー状態で試合を停止することだけに集中します。お父さんを責めるとお父さんも行き場が無くて「またオレが悪者か」とお母さんに当たるようになります。
⑤⑥うつ・毎日死にたい気持ち、どうぞお寺に電話してきてください。話すだけでも気が楽になりますよ。
⑦家族の問題は近しい存在とは言っても、それでも親は親。父は父。母は母。俺は俺。混同しない。ごっちゃにしない。状況が困難に感じても、まず、第一次にそういう状況とだけ念じて自分の理想や願いを持たずに接することです。助言したいですが文字が足りませぬ故この辺で

2025年3月12日 16:37
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございました。
父は(とりあえず)一旦(医療保護という形で)入院することが出来ましたので少しの間だけゆっくりできています。
今後は経済的なことが心配ですが(また)悩むことが出てきたら相談させて頂けたら幸いです。本当にありがとうございました。

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