外国での友人と喧嘩
外国に留学している学生です。仲の良かった台湾人の友達の言動がきっかけで気まずくなり、話さなくなってしまいました。原因はお互いにあると思うのですが、その言動にカッとなって先に無視し始めてしまったのは私です。繋がっていたSNSを切り、挨拶や事務的な連絡などの最低限のコミュニケーション以外しなくなってしまいました。
今思うと、そのカッとしてしまった言動は、私の受け取った言葉のニュアンスと異なるものだったのかもしれないとわかりました。友人は普段からちょっと誤解されやすい、気取った様子で振舞う子です。誤解しやすい表現も相まって、私が悪いように受け取り、勘違いしていた可能性があります。なんにせよお互いに母国語でない言葉を使うので、少しコミュニケーションに難があったのは否めません。
そんな友達が別の学校に行くことになり、今の学校を去ることになりました。このまま気まずい空気でいるのは悲しいので、元に戻るとまではいかずとも、また話が出来るようになれば良いなと思っています。でも恐らく、友人は私のカッとした様子にうんざりしており、これから先自分が変わらない以上、謝ったところで解決しないだろうと思っています。変わってから謝らないと、友人のためでなく私の満足のために謝っていることになってしまう気がしているのです。そして相手が元のように話せるようになることを望んでいるのかも正直分からないです。
友人はもともと感情を表に出すタイプではない上、凄くストイックなところがあるので、私に限らずあまり他人と関わってる姿を見せません。そんな中で仲良く接していたので、ちょっと私も嬉しかったんです。友人と私、お互いのためになる行動は一体なんでしょうか?
今はぎこちないですが、笑って挨拶して、少なくても雑談をする状態にはなれました。今後の自分のためにも今の性格をより良くしていきたいです。アドバイスよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ものごとはシンプルに
単純に、悪かったと思う所があるのなら謝ってはいかがでしょうか。
>「友人は私のカッとした様子にうんざりしており、これから先自分が変わらない以上、謝ったところで解決しないだろうと思っています。変わってから謝らないと、友人のためでなく私の満足のために謝っていることになってしまう気がしている」
つまり、カッとなったことが悪かったのであり、カッとならなくなってからじゃないと謝っても意味がないということでしょうか?
無視し始めたことは謝らなくてよいのでしょうか。悪くないのでしょうか。
それにね、人間が全くカッとならなくなることはほとんどないと思いますよ。ご縁次第でなんとでもなるのが人間です。感情は起きるもの、ある意味では制御不可能です。
人格者感丸出しの悟ったようなベテランの仏教の布教使さんでも法話中に大衆の目の前でいいなり理不尽に汚い言葉で蔑まれたらカッとすると思いますよ。もちろん私もです。
自分のためでなく相手のために謝るのなら、謝っても相手が取る態度には期待しないことです。申し訳ない事をしたのなら自分の理屈は置いといて謝りましょう。
もちろん友人なのですから、謝るだけでなく感謝とこれからの生活へのエールを送ってはいかがでしょうか。
あなたのお気持ちを
拝読させて頂きました。あなたのその友人への素直なお気持ちを言葉にしてお話なさってみてはいかがでしょうか?社交辞令や嘘や自己満足ではなく素直なお気持ちをお話しなさってくださいね。
人とのご縁は不思議なものです。出会いもあり別れもあります。
私はそれが当たり前のことと思います。
それも人生ですからつながるご縁もあるでしょう。
まずあなたの素直なお気持ちがその方にしっかりと伝わりますようにと切に願っていますね!