お寺へ行って手を合わせました
手を合わせ
線香と蝋燭2本を御供え
無作法でありましたが
帰って来ました。
これまでの事が嘘の様に穏やかな状態になりました。
大変感謝しています。
何故かとても不思議です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
礼拝施設のはたらきですね
私はお寺の住職ですから、お寺が日常になっていて他所のお寺に行っても落ち着いた気持ちにはあまりなりません。
しかし、たまたま(私たちの宗旨の開祖)「親鸞聖人が大好きな」牧師様がおいでになるキリスト教会に伺ったことがありました。留守でしたが礼拝堂は開いていたので数分をそこで過ごしました。薄暗い礼拝堂で十字架を眺めていると、とても落ち着いたすがすがしい気持ちになりました。
五年前の春ごろ、今は社会人(中学教師)になっている大学生のご門徒がふとやってきて、「本堂に上がらせてもらい仏様を拝みたい」といいました。もちろん承諾しました。彼もやはり数分を静かに仏様の前で過ごし、「素晴らしいです」等と言って帰っていきました。
お寺の本堂にも、キリスト教の教会にもなんともいえない、人を落ち着かせる、ホッとさせる力みたいなものがありますよね。
よい体験をなさいましたね。
よい体験をされましたね
もしかしたら、御仏のご加護があったのかも知れませんね。
悩んだ時。苦し時。お寺の近くに立ち寄った時・・・是非手を合わせてください。きっと御仏様は奈由さまの事を見守って頂けているはずです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
神仏の御加護。
有り難いものです。
教会も素敵ですね。27歳の時に長崎に行った時に天主堂へ行きました。あのイメージがあります。
家も落ち着いて来たように感じます。
一端悩みは終息を迎えました(^^)
その夜夢を見ました。見知らぬ男性が掌を見せ
その掌の皺はハッキリとして
手相というものがあるとしたら素晴らしいものの様な気がしました。
「勉強すると言っていたが勉強の方は大丈夫なのか?」との問いかけがありました。
その様な事は一切願わないと思っていました。
何故か仏様はお見通しだと思い…
仏様は思いやりに満ちていると感じました。