人として大切なこととは。
私は、今年の春から大学一年生になりました。
最近自分の心が汚れてきたことに気づき、相談させて頂きます。
人として基本的な大切なこと。挨拶をする、約束を守る、思いやりをもって行動する、何事も一生懸命に頑張る、人と関わることなど、、それが最近出来なくなってきました。
あと、人が頑張っているところを見て、前は感動していたのに、何でこの人はそんなに一生懸命出来るんだろう?何でそんなに夢を叶えたいんだろう?とか、思うようになってしまって、人を見下してしまいます。結局、自分は何にも頑張れていないのに、自分は最低な人間だな、、と最近感じます…。
挨拶をしても何の意味があるのか、
思いやりを持って行動しても、自分が良いように使われるだけ。
人と関わっても疲れるだけ。
一生懸命頑張ったところで何が変わるのか。
全てわからなくなってきました。。
私もなぜ急にこんなに心が汚れ始めたのかわかりません。
改めて、人として大切なことを知りたいです。
そして、なぜ人は心を磨かないといけないのでしょうか?人と関わることはなぜ大切なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間となる成長ですよ!
ご質問を拝見させていいただきました。
たえ子さんは、”挨拶をする、約束を守る、思いやりをもって行動する、何事も一生懸命に頑張る、人と関わることなど、、それが最近出来なくなってきました”とおっしゃって、それを”心が汚れた”と思われているんですね。
でも、別の方向から見ると、「これまで、挨拶をする、約束を守る、思いやりをもって行動する、何事も一生懸命に頑張る、人と関わることなど」が大切なことだと教えられてきたからやってきた。
しかし、大学生になられて、今まで教えられてきたことをただ繰り返すのではなく、今度は自分自身の内側から「なぜ大切なことなのか?」という疑問を持ち始めれたのではないでしょうか?
もしそうだとすれば、それは人として生きる上でとても大切なことを、たえ子さん自身が感じ取り、考え始められた貴重な時間だと思います。それは同時に、たえ子さん自身のありのままの姿に向き合い始められたということでもあると思います。しばらくは、思い悩むこともあるかもしれません。そんな時には、またいつでも、hasunohaにご質問ください。
相田みつをさんという書家(詩人)の方が「一番分かっているようで 一番わからぬこの自分」という言葉があります。人間は、そんなに綺麗に何事もできるわけではありません。そういうことも含めて「自分自身を受け入れる・自覚する」ということが、生物学的な人間ではなく、「血の通った人間・人との関係性の中で生きている人間」になるということではないでしょうか。そしてそれは、「”いのち”について考える」ということにつながると思います。
これも引用ですが、最後に金子みすゞさんという詩人の方の『大漁』という詩を紹介させていただきます。
「朝焼け小焼だ大漁だ 大羽鰮(オオバイワシ)の大漁だ。浜は祭りのようだけど 海の中では何万の 鰮のとむらいするだろう。」
私は、たえ子さんのご質問を拝見して、何かのご参考になればと思い、感じたことを書かせていただきました。
質問者からのお礼
返答ありがとうございました。
これから、少しずつ分かっていけるように頑張ります。