「障害者」「難病」への感情の処理回答受付中
自分は昔から「障害者」や「難病を患っている方」などをテレビなどで見ると、
心が重くなるというか辛くなってしまいます
それは多分どこか自分の心の中で彼ら彼女らが「不幸」なんだと思ってしまっているからだと思います
彼らに比べて「健常な自分」が一般的な幸せを享受しているのも何か気持ち悪く感じます(そもそも比べるなということも分かります)
幸せの形は人だと思います。
確かに多くのことはできないかもしれないけど、それでも彼ら彼女らは「不幸」ではないと否定するだけの論理や思いを持ち合わせているつもりなのですが、必ず心が重くなります
原因もそれを覆す論理も感情もあるのに、なかなか心の重みから解放されません
この思考から解放されることはあるのか、解放されないならどういった心持ちでいればいいのか
参考までに教えていただけると幸いです
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
裕之さん
はじめまして。
裕之さんは障がい者や難病の方たちを不幸だと思い、苦しくて悩んでいらっしゃるのですね。
もしかしたら、幼い頃に周りの大人の誰かが「障がい者は不幸だね…」などと話しているのを聞いたり、衝撃的なシーンをインプットしてしまったのかも知れませんね。
記憶には残らないまま…
それがトラウマになっているのであれば、トラウマケアを専門家と一緒にした方が良いかも知れません。
それほどではなくて、認知の歪みであれば努力で改善できるかも知れません。
実際、裕之さんが思っているのは
かなりの思い込みで、障がい者の方たち全員が不幸ということはまずあり得ません。
健常者でも不幸なひとはたくさんいます。
気が重いという理由で、障がい者の情報収集もできないという悪循環にもなっていると思います。
「なぜ認知の歪みになるのか」を検索したり調べてみてください。
せっかくの機会ですから視野を広げましょう。
主体的に取り組むことで心が軽く前向きになると思います。
また、生老病死の「病」も誰もが避けては通れないことですね
(癌もあれば交通事故もある……、明日の健康状態など誰にも分からないこの身)
間違えた思い込みを持つと
色々矛盾して行き詰まり苦しくならないかな?とも思いました。
質問などありましたらお気軽にしてくださいね。
これからも応援しています。
幸せとは、幸せな生き方とは
拝読させて頂きました。
あなたは難病や障がいを抱えた人を見るとその人が不幸なのではないかと思ってしまってあなたの心が重くなってるしまってなかなか解放されないのですね。あなたがそのように思い込んでしまって辛くなってしまうことわかるように感じます。あなたのお気持ち心よりお察しします。
あなたは自分が健康であると思っておられるでしょうが、それはどうでしょうか?
身体的にも精神的にも何の病いも障がいもない状態でしょうか?
あなたは常に完璧な完全円満な状態にありますか?
それはこれからどうなっていくでしょうか?5年後10年後はどうなっているでしょうか?
或いは明日や次の瞬間にはどうなっているでしょうか?
或いはあなたの身近な人はいかがでしょうか?
そして仮に病気や障がいがあったら不幸でしょうか?或いは幸せな人生はないでしょうか?
または幸せな人生や生活って何でしょうか?
ゆっくりと思い巡らしてみて下さいね。
因みに家族も私も難病や障がいや終生治らない病気を抱えています。それぞれの生き様や生き方や価値観や幸せに感じることはあると思います。
あなたが健やかに毎日を生きることできますように心よりお祈り申し上げます。至心合掌