生まれたときのエピソード
高校生の娘の宿題に「生まれたときのエピソード」というプリントがありました。娘二人を育ててきて、これまでにも何度も同じような宿題や冊子作りを経験しました。その都度、事実と思い出を話していますが、このようなテーマがある度に複雑な気持ちになります。すべての子供、すべてのお母さんたちが無事で健康で幸せであることが大前提のように行われるからです。出産時に双子の一人を亡くしたり、出産時にお母さんに障害が残ってしまったり、無事に出産出来ても今現在は育児放棄されていたり。思い出すのも語るのも辛かったり、親にエピソードなんか聞けない子供もいるはずです。実際にお父さんからお母さんが亡くなった理由を聞き、辛いながらもお父さんに感謝の気持ちを書いた子供がいたそうですが冊子になって配られた時にはそのエピソードは省かれていたそうです。先生方はどのような気持ちでこのような授業をしたり宿題をだしたりするのでしょうか?そもそもクラス全員の前で発表させることは必要でしょうか?個人情報保護を高らかにうたうのであれば、こうした各家庭の情報こそを保護するべきだと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
教育は人間の視点 仏教は「いのち」の視点
御答えになるかはわかりませんが。
失礼致します。
親から生まれ、両親から育てられたことに感謝しようという意味もあり、母の日、父の日もあり
しかもGWもあることなので、生徒に、そういう「家族」というものを知ってもらいたいという
「教育」として意図があるものかと思います。
例えば「父の日」「母の日」も、状況によっては、繋がる話かもしれませんね。
いつまでも両親が健在な方もいれば
離婚、死に別れ、育児放棄・・・御縁はなかなか選ぶことができません。
仏教は「生きるための「いのち」の教え」です。
それは、どのようなものか?
あなたに与えられている過去、今。これからがその「仏教」なんです。
そういう中で、あなた様が今、感じられていること
素晴しいことだと思います。
ちゃんと、子供たちにも向き合っておられる姿勢が伺えます。
でも、残念ながら「教育」は
生きることが視点の中心ですから
「いのち」「御縁」の尊さに関しては
やや尊厳さに欠けるような気がします。
辛くても、書いて提出する子供さんのご家庭
とても提出できない子供さんもいるでしょう。
そこの対応をしっかりできる先生が理想かとは思うのですが
現在の現場はどうなんでしょうか。
子供の教育に関わったのも
途中までだったので今はわかりません。
でもPTA役員という経験もさせていただいたので
「親」としての「想い」も感じている時期もありました。
もし、発言の場が許されるのであれば
先生、学校、教育機関に
御一人でなくても
数名ででも、連名ででも
「質問」のような形で
「伺い」「提案」してみてはいかがでしょうか?
学校等が、どのように受け入れてくれるかは
わかりませんが
宜しければ参考にしてみてください。
ありがとうございました。
質問者からのお礼
回答いただき、ありがとうございました。今まで何度も疑問に思っていながら何も行動出来なかったことを少し恥ずかしく思います。機会があれば先生方に配慮していただけないか聞いてみようと思います。ありがとうございました。