心配事で心が常に疲れます
こんにちは。
私は、子どもの頃から極度の心配性です。
現実的、非現実的を問わず、常に頭の中で考え事をしています。
あぁなったらどうしよう、こんなことにもしなったらという
”今悩んでもどうしようもないこと”を常に考えています。
私自身、失敗をするのがとても怖く、今まで様々なことがありましたが、
挫折らしい挫折をしたことがなく、また両親ともが愛情いっぱいに
育ててくれたこともあり、周囲の期待を裏切りたくない思いがとても強いです。
周囲の人は、私が不安を口にしても、
「なったらなったでしょうがないと」割と楽天的な人が多く、
神経質すぎるのだとは思います。
でもとても苦しいです。
悪いことを想定し、常に万全を心がけるのですが、
10代で結婚し、子どももおり今まで何事もなく過ごしてきました。
自分一人で全てを成功させるなど無理なのもわかっていますが
「すごいね」「しっかりしてるね」と言われると、
そうあることが当然なように感じてしまいます。
楽天的に物事を考えたいです。
頑張り続けることに疲れました。
私は全然しっかりなんかしていないんです。
どうしたら、気を楽にして生きていけますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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失敗体験
頑張り屋さんなんですね。周りからの期待もあるのでしょうが、ご自身でも自分に期待をかけてしまっている…こうでなければならないという思いにとらわれてしまっているのかもしれませんね。
しかし、現実には物事はなるようになります!なるようにしかなりません!失敗したら失敗したなりに、挫折したら挫折したなりに、なるようになっていきます。
慣れるために小さな失敗体験をあえてしてみてもよいかもしれませんね
例えば、日曜日にわざと寝坊をしてご家族から「ごはんまだ?」と催促されてみるとか、ご友人との待ち合わせに遅刻してみるとか…
「ごめんね」の一言で許されることや、許されなくても許されないなりに周りがなんとかしてくれること・・・そうした体験から私が頑張りすぎなくても大丈夫だ!と身に染みて思えるかもしれません。
おっしゃる通り「自分一人で全てを成功させるなど無理」であって、自分が頑張って成功したと思っているものごとでも実際には様々な「おかげ様」の上に成り立っていることに気がつく時、ふっと力が抜けるかもしれませんよ。
「すごいね」「しっかりしてるね」という期待を、周りではなく自分が自分に義務化しないこと。
周りがmiyamaさんにそうあってほしいと期待しているわけではありません、頑張っている今のmiyamaさんの姿をみてそのように目の前の事実を言っているだけです。
期待は自分が自分から一番背負いこんでいるものなのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、自分が一番自分に期待していたのかもしれません。
ほとんどの人が平凡なように、私も平凡なはずなんですが、
頑張りが報われるような、そんな気がして生きてきたように思います。
あまり気負いすぎないように、自分らしく生きれるようになれたらと思います。
ありがとうございました。