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障害持ちの兄に最低な対応をした私、もう一度妹として..

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

少し長めですがお許しください。

私にはかなり重度の障害を持つ兄がいて兄、姉がいる末っ子です。
兄とは8、9歳も離れていて歳が結構離れていたので物心付いた時には大きい体で暴れまわる怖いお兄ちゃんという認識で血や割れたガラス、よく見てました

父が俗に言うDV夫で私はあまり覚えていないのですが姉や母や私、障害持ちである兄に暴力行為を行っていて今は離婚し何年も顔を合わせていないのですが、その頃の家庭環境は劣悪でした。

いじめも多発、親の口論、特別支援学校でのトラブル、私は高学年まで排泄障害持ちで親や姉、祖父母に負担と迷惑を掛けさせっぱなしでした。
障害持ちの家庭よりも負担が大きかったのでは無いかと思います。

充分甘えさせてもらいながらも(旅行や二人でお出掛け等は無かったです)やはり子供の性格上甘えたい意識が強く常に兄に意識が向く母がつまらなかったですし兄にも嫉妬していました。

父が兄に手を上げ、母が止めて、隠れて母が泣いて。
その光景をぼんやりとながらに覚えていたのですが、何故母がそんなに辛い思いをしなくちゃならないのか、自然と父と兄が嫌いになっていました

望んで障害を持って産まれたわけでは無いですし言葉で表現できない苦しさを持つ兄の辛さは充分に分かっています。

ですが当時は偏った考えといじめが続き自然と兄を避けるようになったり、最低なのですが兄を子供の力ながら蹴ったりしてしまいました。

理由もなく、反論できない兄に手を上げた。その過去が今も脳裏を過り罪悪感に襲われます。

兄は父の行為で失明しています。
どうして兄がこんな可哀想な目に合わないと駄目なんですか。自分を殺したくて仕方ありません。

今は福祉センターの様な所に兄がいます。

私は不登校や親との衝突や精神科通い(お話は出来ずにお薬に頼りっぱなしですが)で何とか今は立ち直り、高校に通ってます。

片道約四時間なのでなかなか会いにいけませんが会いにいっても罪悪感と嫌われてるだろうな意識が強く上手く目も見れません。

今は兄の事が好きです。出来るなら福祉関係の仕事にも就きたいです。

ですが、こんな私が純粋な障がい者と接する事が出来るのか。悩んで涙が止まりません。

兄は私の名前を呼んでくれます。散歩が好きで一緒に歩くとよろこんでくれます。

私は妹として兄と接して良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これから共に生きてくださいね

拝読させて頂きました。お父様お母様やお兄様ご家族様との今迄の経緯とそこで大変つらい思いをなさってこられたことを一つ一つ読ませて頂きました。今まで本当に悲しい苦しい思いをなさっていらっしゃったのですね。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
そしてあなたのお兄様へのお気持ちも読ませて頂きました。
やはりあなたはお兄様を大切に思っていらっしゃることをとても感じました。
あなたとお兄様は共に大切なかけがえのない存在ですよね。
成長過程であなたがしてしまった行いについてはあなたは心から反省なさりどうぞ懺悔なさってください。そして真心込めて謝りこれからそのようなことをなさらぬようにとお誓いくださいね。
あなたのお気持ちは必ずやお兄様にも伝わることでしょう。
そしてこれからの人生においてあなたは可能な範囲でお兄様をサポートなさってくださいね。
共にご縁を頂き生きる者同士で必ず喜びも分かち合いながら生き抜くことができるでしょう。
またご家族の皆さんともお互い協力し合いながら様々なことを話し合い仲良くご生活なさってくださいね。
あなたもお兄様もご家族の皆さん共に心からお健やかに豊かな毎日をお過ごし頂きますように心よりお祈り申し上げます。

大切なことは人を思いやる心ですものね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

kousyo Kuuyo Azuma様へ

心優しいお言葉ありがとうございます。
障害児を悪者、オモチャのように笑ったり罵りあいで障害者かよ、と口にする教室だったので子供の無知さと言えど兄弟児の私には深く突き刺さっていました。
特別支援学級があったので遠足や出し物の時も特別支援学級の生徒さんがパニックになったらクスクスと声が聴こえていました。私自身はかなり幼かった為、どんな対応をしたか忘れましたが私のお兄ちゃんとよく似てるパニックってそんな可笑しいのか..とまわりの感じ方と兄の障害持ちの重度さもそこで理解出来ました。

その子達が正義とか偏見はあるべきとかではなく、差別もされる世界なのだと理解する度、友達になかなか兄がいるよと言っても詳細を話せなかったり周りの温度差にクラクラする事が多かったです。

ですが今は一部ですが友達にやっと話せる様になったり徐々に心にユトリが持てました。

同じ血の通う家族ですから共に生き、共に苦労することを私は望んで選びます。

まだまだ兄と接するのが幼い頃に見た光景で(パニック状態や血など)少し怖さを感じるのですが、兄と思えば怖さも半減されますし今は落ち着いて施設の従業員様から、大切な子と言われる様になり私自身も一歩踏み出させばならないなと強く感じました。

あと少し書き方に語弊がありました。申し訳ございません。「父は私に暴力行為をした」は私の記憶にはそこまで覚えてなく他の姉や兄より特別良くしてくれていました。

ですが父の対応や母からの言葉により、DVもあったんだな、と分かったのです。当時は家庭環境はそこまで良くなかったものも何気なく充実はしていましたし(イジメもありましたが友達も少ないながら居ました)悪い思い出だけじゃありません。

その為、私は姉や母より、父を嫌いになりきれません。勿論兄にしたことは反省して欲しいのですが母が父のせいで、父が..と、私が早く気付いて病院に行けば、と言葉を漏らす度、父を嫌いになりきれない私に母に掛ける言葉は冷淡ではないのかと思います。

かなり不自然な所に私は立っているので家族会議の末、気持ちをしっかりもつように致します。

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