自分の行動で友を不登校気味に...回答受付中
今日、学校で三者懇談がありました。その時に、先生からこんな話を聞きました。
僕と仲良くしていたひとつ下の後輩がいて、僕が人間関係の距離の縮め方を間違えて強引にしてしまったことで彼は僕を恐れてしばらく不登校だったこと。
かなり大きなショックを受けました。今は距離をおいているとは言え元々は親友だった仲。その相手を学校に来れないほど追い詰めていたことを知り、自分自身を恨んでいます。
心の整理がつきません。僕が学校に行くのが怖くなってしまいそうです。どうすればいいでしょうか。ご意見いただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私達は全員が△。○でも×でもない。もちろん私もね。
こんばんは。もうタイトルが全てではあるんですが、何かあなたが原因で起きたようなことであっても、「自分自身を恨む」のは間違いです。「罪を憎んで人を憎まず」じゃありませんが、全否定する必要は全くありませんし、おこがましくさえあります。
というのは、これが「あなたと、その彼」について、最近起きたことに過ぎないからです。つまり様々な条件が重なって、今の結果になっているということ。相手が違ったら、タイミングが違ったら、もちろん結果も異なるはずです。だって、あなたに悪気はなかったんでしょう?(よしんば悪気があっても良い結果が出ることだってあるのです)
なので、「過去これで上手くいったんだから、俺の勝利の方程式はこれだ!」とか過信しているのでなければ、あなたの△を○に近づけていけば良いだけ。
ポイントはきっと、出発点から話すことです。「こうしなよ」という結論だけでなく。出発点は、「そもそもなぜ、俺はお前に関わるのか?」を言葉にして伝える事です。「俺はお前ともっと深い話もしたいし、よい関係を築きたい。もちろんお前を傷つけたい訳じゃない。そのために、どうしたらいいのかな?」と、あくまで「相手との関係において話は進む」ことを見失わないことです。
一方的に話を進められるのは、きっとあなただって嫌ですよね。「ちょっと待ってくれ。それを言われると俺はこう感じるよ、を言わせてくれ」と思ったこともあるかも知れません。そういう雰囲気を察しながら、なるべく多くの言葉を伝える。相手の感情を想像しながら、確かめながら話を進めていく。短文流行りの現代ですが、そんな機械の都合で友だちを失ったり誤解されるのは、それこそゴメンです。
「先生に聞いたよ。気持ちに気づかなくて申し訳なかった」から、また友情が戻ってくることを想像しています。お互いに弱みを見せてこその親友。親友ってのは一生に五人もできません。「俺に何ができるかな」を答えて貰えるといいですね。応援しています。
質問者からのお礼
佐藤良文様、丁寧なご回答ありがとうございます。
機械的ではなく、じっくり相手の気持を聞き出すことも大事だということを、当たり前とは言え日々の中で忘れがちなことですので、再度認識してまた相手に向き合おうと思います。
「親友は一生に5人も出会えない」、ということは逆に会うことが出来たあの子とは前世から因縁が深かったということですかね。
少し希望が見えてきました。ありがとうございます。