事実と妄想
事実を事実として受け止める、怒りや不安は妄想だ。この事は頭では理解しています。しかしいつも気付けば妄想に巻き込まれてしまっています。対処法を教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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事実と思いの差が苦しい
怒りや不安はリアルな感情でしょう。
大事なことは感情に飲み込まれて事実を見失わないことではないでしょうか。
感情は湧き上がってくるものでコントロールできません。でもそれに飲まれてしまって事実を妄想で覆い隠したり、事実から逃げたりしても事実は変わりません。そしてそれに付随する感情も停滞してしまうでしょう。
自分が納得できるかどうかに関わらず、事実を事実として自分の不都合な感情ごと受け止めていく。
真正面から事実に対し現実的な対処をしていくならば、やがて感情もついてくるのではないでしょうか。
事実を事実として受け止めるということは怒りや不安や悲しみといった感情を感じなくなることではありません。むしろ時に残酷なまでに私の思いと事実はかけはなれているのですから、その感情も耐えがたいものがあるでしょう。
事実から逃げようとする私の姿を教えてくれるのが仏法ではないでしょうか。あらゆるものが意のままになることではないのです。意のままになると思う事こそ事実から離れています。
私は浄土真宗ですからお念仏を申します。南無阿弥陀仏とお念仏申して怒りや不安がなくなるのではありません。怒りや不安を通して仏法に出会わせていただくことの有り難さに南無阿弥陀仏とお念仏申しております。
迷う私が迷っていると知らせていただくことが有難いのです。楽になるのでなく、苦しんでいけるのです。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
吉武様、ありがとうございます。
怒りの感情や不安など。受け止める。頭では理解できます。受け止めるコツはあるのでしょうか。受け止めることと飲み込まれることの違いを理解するのが今の自分には難しいです。
ありがとうございました。