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事実と妄想

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事実を事実として受け止める、怒りや不安は妄想だ。この事は頭では理解しています。しかしいつも気付けば妄想に巻き込まれてしまっています。対処法を教えてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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事実と思いの差が苦しい

怒りや不安はリアルな感情でしょう。

大事なことは感情に飲み込まれて事実を見失わないことではないでしょうか。

感情は湧き上がってくるものでコントロールできません。でもそれに飲まれてしまって事実を妄想で覆い隠したり、事実から逃げたりしても事実は変わりません。そしてそれに付随する感情も停滞してしまうでしょう。

自分が納得できるかどうかに関わらず、事実を事実として自分の不都合な感情ごと受け止めていく。

真正面から事実に対し現実的な対処をしていくならば、やがて感情もついてくるのではないでしょうか。

事実を事実として受け止めるということは怒りや不安や悲しみといった感情を感じなくなることではありません。むしろ時に残酷なまでに私の思いと事実はかけはなれているのですから、その感情も耐えがたいものがあるでしょう。

事実から逃げようとする私の姿を教えてくれるのが仏法ではないでしょうか。あらゆるものが意のままになることではないのです。意のままになると思う事こそ事実から離れています。

私は浄土真宗ですからお念仏を申します。南無阿弥陀仏とお念仏申して怒りや不安がなくなるのではありません。怒りや不安を通して仏法に出会わせていただくことの有り難さに南無阿弥陀仏とお念仏申しております。
迷う私が迷っていると知らせていただくことが有難いのです。楽になるのでなく、苦しんでいけるのです。

南無阿弥陀仏

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武様、ありがとうございます。
怒りの感情や不安など。受け止める。頭では理解できます。受け止めるコツはあるのでしょうか。受け止めることと飲み込まれることの違いを理解するのが今の自分には難しいです。
ありがとうございました。

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