気にしすぎない考え方
日々過ごす中で、自分が何かしてしまっているのではないかと心配になり、問い合わせたり確認したりしてしまいます。
今まで、特に気にせずできていたのに、確認しないと不安が募ってしまいます。
使っちゃいけないものを使っていないかとか、入っちゃいけない場所に入ってないかとか、何か汚したり壊したりしてしまわないかと心配ばかりしてしまいます。ちょっとでもなにかにぶつかったりかすったりしてしまうと、傷がついていないだろうか、私のせいで壊れてしまっていたらどうしようと不安になり、大丈夫でしたか?と問い合わせしてしまいます。
少しでも言われてないことをしてしまうと、やってよかったのかなと不安になります。
気にしすぎないためにはどのように考えたらいいのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
るる 様 相談ありがとうございます。
私はあなたが安心安全を感じるようにお祈りをいたします。
どうかあなたの感じる何かで安心安全を感じますようにと。
だから、あなたは安心安全を感じるようにしてください。
そしてそれを広げるようにしてください。
イメージの中で、癒される場所でとても落ち着いた、穏やかな感じが感じられるかもしれません。それは最初は、一瞬かもしれません。
あるいは、赤ちゃんを抱いているときかもしれません。
優しい人がそばに居る感覚かもしれません。
あなたの感じる何かで、安心安全を感じて長くそれに留まるようにしてください。
私は祈ります、あなたが安心安全を感じて優しさに溢れて幸せになりますようにと仏様に祈ります。
あなたの中にも仏様に成る種が有って、その種が呼応するのです。
「あなたは独りじゃない。安心していいんだよ。頼りたい人にもっと頼っていいんだよって」種から芽がでるように、心が穏やかさに包まれていくのです。
あなたの中にある仏様(その種・力)を信じてください。
祈りが届き呼応して、力が宿ってきます。
勇気をもって罪悪感を減らすことができます。
祈りの力を信じてみてください。
合掌礼
安心なさって下さい
拝読させて頂きました。
あなたがとても気にしすぎてしまって心配性になってしまっていることを読ませて頂きました。詳細なあなたや周りの状況はわからないですけれども、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
あなたがそう思い悩んでしまうこともとてもよくわかるように感じます。私も以前はそのようにいつも心配になってしまって何をするにもおびえていたことがあります。
後からよくよく考えてみると些細なことだったりするのですが、その当時は何に対しても心配になっていました。
今思い返してみるとその時には心の余裕が全くなかったように思います。常に何かして何かに追い込まれていたように感じます。あれもしなきゃ、これもしなきゃといつも考え込んで悩んでいたと思います。
今思うとその当時でも「なるようになった」のです。「なんとかなった」のかと思います。
ですからあまりあれこれとあわてて詰め込まずに一つ一つのことをしっかりとこなしていけばいいのです。人間は一気にあれもこれもできるものではありません、私達は限界があるのです。ですから目の前のことにしっかりとお向き合いなさり一つ一つ落ち着いて取り組んでいけばいいのです。ですから安心なさって下さいね。
あなたが一つ一つのことに落ち着いてお向き合いなさり、安心して健やかに生きることできます様に、切に祈っております。そしてあなたを心より応援させ頂きます。
質問者からのお礼
お返事いただきありがとうございます。
確かにいっぱいいっぱいな日々を過ごしているように思います。些細なことを気にしすぎてしまい、余裕がないように感じます。
いつか、なんとかなる、なんとかなってたと思えるように、安心を感じることができる時間を意識して増やしていきたいです。