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自分の運命に納得できない時は

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有り難し有り難し 35

家庭にまつわる事に幼い頃から今まで悩んできて、最近はもう解決などできない状況だと分かりました。

自分の運命だと受け入れて生きるしかないと頭ではわかっているのですが、心では「どうして自分の家庭はこうなんだ」という悔しさで苦しいのです。

普通の家庭など無い、それぞれの家庭に悩みはあるという事はわかっています。ですが周りを見渡しても変な話ですが、家庭の不幸度合いで見るとけっこうなレベルだと思うのです。そして解決法もありません。

どうしてうちは、なぜこうなんだと、自分の運命に対して憎しみを感じます。そして受け入れることができません。それが苦しくて苦しくて、時々ふとした時に闇に飲まれすごく落ち込みます。

自分の運命に納得できない場合は、どうしたらいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私の仏道の先輩がこんなお話をなさっていました。
>庭の雑草が多すぎて、抜いても抜いても追い付かないなら、花や作物を植えると良い。花や作物が植わっている分だけは、生えてくる雑草が減る。だからできるだけたくさん植えると良い。植えれば植えた分だけ、雑草が生えてこなくなる。人間の心も同じ。坐禅をしたり、修行をして善い行いをいっぱいすれば、悪い行いは出てこなくなる。同時に悪い心も湧かなくなる。

ジャスミン茶さま、きっと職場の環境が好転していないのではないでしょうか?あるいはひょっとしたら退職なさったのかも?いずれにしても、生活環境に充実感が無さ過ぎてグルグルと思い悩んでいらっしゃるのではないかなと感じます。

自分の運命に納得するには…こういうことを申し上げるのは心苦しいのですが、きっと納得はできないと思います。雑草を抜いても抜いてもすぐに生えてくるように、どんなに心の有り様を模索してもすぐに闇は迫ってくるでしょう。だから祖国を滅ぼされ、仏教教団のリーダーの後継ぎにと目をかけていた愛弟子2人と次々に死別し、どこに行っても異教徒に迫害され、この世界は一切皆苦だ!と宣言したお釈迦さまは毎日毎日、坐禅をなさったのです。坐禅をして、坐禅を『楽しんだ』のです。そうして心にたくさんの花や作物を植えたわけです。

幸い、Hasunohaのお坊さんの多くは「ウチのお寺に来て下さい!」という方々です。アポ取ってから行き、 非日常の空間で、生活と運命、そして自分そのものを忘れて何かさせてもらってみればはいかがですか?きっと気が晴れると思いますよ。東京から広島の私のお寺に…とは言いづらいですけど(笑)
画面上の「お坊さん一覧」をポチして下さい。すると最初に丹下師と邦元師が出てきます。丹下師は回答に「詳しくはウチのお寺に来て下さい。話をしましょう」的なことを書くお方ですし、邦元師はプロフに坐禅会や写経会、お茶会でお寺を開いていますとあります。距離的にも行けなくはない距離でしょうから、ちょっと相談してみてはいかがでしょう?

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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「それでも、もっと悲惨な中でも平気な人がいるのは何故か?」

人間の苦しみには比較はなかなかできませんが、それでも仮に全日本地域別不幸NO.1選手権を各県、全国レベルで開催したとしたら、その中に同じような苦境にあっても、運命を呪ったりせず、中には平然とされているケロリンな方が必ずおられるはずです。
そこでもう一度タイトルを。
つまり、あなたのお悩みは不幸な境遇ではなく、物事に対する反発心であると考えて頂ければいいのです。不幸な境遇レベルはあなたと同等な方、もしくはそれ以上の方もいるはずだからです。
物事に対する反発心。
嫌だ、苦しい、逃げたい、ふざけんな、イライラ、ムカムカ、あ゛ーーー!!!
という反発心が、出るか出ないかの差、だけなのです。
だから仏教は万人を救い得る。
物事に対する事前の理想、期待、思い描きが強い人は反発心がアー!チキショー!とばかりバンバンでます。
その原因は、最初から・あらかじめ・直前まで「こうあるべきだ」と思っているからです。
他の人に比べて自分は良くない、という比較が生じているから、
「何で自分だけこんなことに…」といって、運命のせいにしてしまうのです。
勿論、運命というものは仏教では全否定しています。
因と縁によっての結果ですから、それを断ち切る、好転する、より良いものに働きかけていくことはできるでしょう。
あなたが今置かれている状況と相手が変わらないにせよ、それは
冷たいようでも外の人の事だと思えばいいのです。
あなたはあなたを生きる。でないと某韓流ドラマの某ヨン様のサブキャラの人みたく介護ノイローゼで死んでしまいます。
あなたがそこから精神的に分離、独立、離脱、影響を受けないポジションに位置する、そういう関わり方を空間的にも精神的にも対処することで、苦は苦なのですが、ただ思い通りにならんという「苦」に変わります。
苦しいの苦から、ただ変えられない、思い通りにならん苦になる。
思い通りにならないちゅーことは、この世の全てがそういう面を持っていますから、そこではじめてあなたは「誰もが平等じゃん目線」になります。
そうして初めて、出来事に向かっている時の反応が、過剰にならなくなる、ありのママもパパもありのままに見られる目線を養う機会を得ることができるでしょう。
回答数は1000字に限られていますので、納得いかなければ禅会にどうぞ。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

大慈様、丹下様ありがとうございます。
お二方のご回答を読ませていただき、自分の未熟さを感じています。
確かに私の中には理想の家族像というものがあると思います。それがこうあるべきという気持ちを強くしているとも思います。苦しいの苦から思い通りにならない苦へという発想自体ありませんでしたので、大変参考になるご回答ありがとうございました。今一度考えてみたいと思います。

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

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「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

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運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ