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親を許す事

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有り難し有り難し 31

親を許すという事がよくわかりません。
親にお金を貸したり、夜にパチンコ店に迎えに行くのを周囲に愚痴ると「親なんだから許しなさい」と言われ続け、自分を納得させる為に無理矢理「ストレスがあるから仕方ない」と言い聞かせてきました。
結婚した後は子作りで母から色々と言われ、喧嘩をし、どうしても許せなくて必要な時以外は接触を絶っていました。
この度義妹が出産し、母から「貴女はいつなの?」と嬉しそうに電話がありました。
母の一言で諦めたのに何を言うんだと思い、過去言われた事を言ったら「覚えてない」と言われました。
子作りを拒否し、孫を楽しみにしている義両親、夫に悪いと思いながらも母の言葉を「私の体を思って言っている事」と無理矢理受け入れてきた数年間は何だったのか?と思いました。

親を許すとはなんですか?
母の言い分を受け入れて無理矢理納得をする事ではないんですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

赦すとは

親に対して自分の高い理想を要求するのをひっこめる事、です。
意味が分かると、自然に「あ」となります。
どんな、凶暴で強烈な親でも、こちら側の確かな覚悟があれば、自然に赦せる=手放せる=その方をその人のそのままでそれ以上を要求しなくなるという意味です。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自分を自由にする。

カプチーノ様

初めまして、釋 慧心と申します。
拝見させて頂きました。

許すということは、本当に素晴らしいことだと思います。
敢えて、赦す、と書きますが、
特に嫌だなと思う相手、今のカプチーノ様にはお母様でしょうか。

もしかしたら、他にもいらっしゃるでしょうか。

私も自分の親を良いように思わないときが有ります。
言葉尻が腹立ったり、世代間のギャップに苛立ちを感じたり、理由はいくらでもつけられます。

しかし、全ては私の心の在りようで、同じ事象でも、その受け止め方は全く変わってくるもので、
機嫌の良いときは何とも思いませんが、朝のくそ忙しい時に愚痴を聞いたりすると、うるさいわあと、無視してしまったりします笑

誰にでも欠点がある、と言ったら当たり前ですが、親も子も、夫婦も兄弟も、この家族という間柄は、尊くもあり、難しいものですね。

何せ貴女のお母様も、24時間365日営業で、お母様という役割をしているんですから、大変です。
他所のお母様は、1日/365日とか、1時間/365日とかという短い時間接したり、お話したりするだけですから、お互いに良い印象だけを与え合うことも出来ますが、
家族となるとそうはいきませんね。

お互いにですが、あまり、完璧な母親像であったり、○○像を家族に持たないことも大切かと思います。
そもそも、そんなものは無理な話です。
お互いに。

許す、赦す、というのは、世の中行いで、最も高尚で尊い行いの1つだと思います。

特に、苦手だなと思う相手、自分の鏡写しかも分かりません。
そんな相手を思いやって赦すということは、素晴らしいことのように思います。

それは、結局のところ、自分自身の解放なんでしょうね。
完全には出来なくとも、少しずつでも素敵なことでしょう。

一度、孔子の論語を「恕」というキーワードで調べてみてください。

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派です。 有髪に非僧非俗、 肉食妻帯(現在は独身ですが)ですので、 厳密に僧侶といって良いのか分かりませんが、万一お役に立てましたら🥺

気にせずに

拝読させて頂きました。親はあなたが思っているよりもあまりよくは覚えていないのかもしれないですね。
自分の言ったことに対してどれだけ責任を持っているのかどれだけ人に影響を与えたり傷つけたりしているかは意外と意識していないのかもしれません。
私達は皆未熟者ですから意識していなくとも軽はずみに安易な発言や行動してしまい人を傷つけたりもしてしまいます。
もしかしたらあなたの親もそのような感じなのかもしれません。
そのような方々は言ってもわからなかったり忘れてしまったりしますから気を使うだけムダな場合もあります。
ですからたとえ親から言われても気にする必要はないのではないかと思います。

親とは付かず離れずの距離ので良いと思います。

どうか気にせずに毎日を健やかに生きてくださいね!

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

世間で言われている「親とは〇〇だ」というのに当てはまらず、どちらかと言うと子供にしてはいけない、やってはいけない事をする親なので「世間一般的な親」を期待していたんだと思います。
いつも私は親の気持ちを理解しようとしていたのに、親は私の気持ちを考えようとしないと思っていました。

少しだけ許す事の意味がわかったような気がします。
本当にありがとうございました。

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