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夫婦関係のやり直しはできますか

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

はじめまして
つい3日ほど前に夫の浮気を知りました。
夫は謝りやり直したいと言われて私もそれでいいと思いました。
でもそれ以降、私の言動が異常だと自分でも思うようになりました。
今まで触ったことのない夫のスマホやパソコンを眼の前で開けさせていくら見てもチェックが抜けてるような気がして何度も見たり、夫を問い詰める言葉が延々と口から出てきて飲まず食わず、眠る時間も惜しくて夫の前に座って言い続けています。夫がぐったりとしていても平気です。
浮気相手に私からメールして、仲を裂いてしまったのが申し訳ないからやっぱり夫を支えてあげて、と返信がないのに何度も送ったりしています。
それでもまだ足りません。
本当にやり直しができるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが「許し方」を決めるか 仏の赦しを持つかを 選択

浮気を許すか許さないかは人間。
許せる器量を持っているか持ち合わせていないかも、その人次第。
許す許さないは人間のワザ。
「赦す」のは仏の心にて行われる、仏のミワザです。
赦しとは、許す、許さないに関わらず、わすれられていることだからです。
自分が思い出そうとか、そういうこと無しに過ごせている時はケロリン(無私)だからです。
「あの女絶対にゆるさない!」と心を強く燃え上がらせるのは、人間のエゴの心だからです。(エゴといっても、これは別に悪いことではありません)
ですが、執拗になるとお互い傷つけあうだけです。それがエゴの苦しさなのです。
アナタが取り上げていない時、忘れていること、思い出しても煮つめ返さないことが赦しなので、その無私の時間を大切にすることで、浮気を許せることができます。
具体例:単独で生きる 相手を所有物として観ない 人間のサガだと諦める
今の段階ですと、ジワジワ、ネチネチ追い詰めている形ですから、ご主人に「心のバランスを保つために、どうしても言ってしまうの。悪気はないので、余程怒った時以外は、そんなに相手にしなくてもいいから。」「あと半年もすれば無くなるらしいから、ちょっと辛抱して頂戴。」と伝えておくことです。「だからといってまだ許したわけじゃないからネ(-"-メ)ギラリ(エゴの炎)」
…そうしてい行く中で、いくら責めても、どうせ夫も自分の所有物ではないので、赦せるようになる日が来ます。やく半年かかるでしょう。
どうしても、個人的な怒りが出てきて許せないなら、【許すための条件】を作ることです。その条件を満たせば、あなたもそれ以上つんつん責めたりしないことを前提に約束をするのです。
これこれをしたら、許す、と。
いっそのこと相手を訴えて慰謝料を頂くのです。
それ以上は、もう、相手も夫も責めない。
何処か争いにピリオドをつけるのです。
本当は、もうピリオドはついています。
でも、心情としてはそうもいかない。
アナタが今後、夫婦の関係を続けて生きながら、きっちりしたければ、どちらかを選ぶよりほかはありません。
嫉妬は、相手をわがものとしようとする処から生まれてくる苦しみです。
一度、関係をリセットして、まずはあなたから怒りを生じさせないようにすることです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

本心を見つめる

えむさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。

えむさんは御主人の浮気を知り、許した「つもり」になっているだけですね。
えむさんがずいぶん混乱した行動を取っていることからも分かります。本当は何も許していないのです。えむさんの心が夫によってズタズタにされたように、夫にも罰を与えたいと思っているのです。

本心を見つめてください。そして、今後どうしたいのか考えてください。
そうでなければ、えむさんの心が崩れていきます。

えむさんが本心と向き合えますように。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

ありがとうございました。
夫を責めてこの数日間、疲れてしまいました。もう次の言葉も見つからないくらいです。
嫉妬というものは気持ちが大きいほど自分の姿も醜いものにしてると思いました。
いつか許せる日が来るのを信じてこれ以上は自分を醜くするのをやめてみます。

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