使えない人間ですみません
もし宜しければご意見を頂きたくお願いいたします。
職場での自分の使えなさに悲しい気持ちで一杯になっています。
今の職場は企画部門で、会社の花形部署みたいなものです。そのためか同僚、上司ともにみな優秀で、課題に対して考えを持ちすぐに判断・行動していますが、私だけ方向違いな考えと判断をしてしまい、時にその事で関係する部署に迷惑を掛けてしまいます。
同僚や上司はどうしてそういう考え方と判断ができるのだろう、自分の経験や知識程度では追い付かない領域にいるのだろうか、ここは自分程度が居られる場所ではない、他人の迷惑になるなら自分なんて死んで居なくなることが一番社会の役に立つのではないかと、ずっと考えています。
自分はここに居ていい存在なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
決断は御自身でなさって下さい…それはいつでも良いです。
私自身も若き頃に会社勤めをしており、また自身の能力の無さを痛感しておりました。職場の方々に迷惑を掛けることもあり、結局退職しました…逃げました。
自分は生きている価値がないと思いました…でも今、私は生きています。
「私は生きていて良いんだ」…なんて自分で思うことではなく、そんな思いはすぐ次の瞬間に「やっぱり私は生きている価値のない人間なんだ」という思いに打ち消されます。
私は命ある限り生きていくしかない…それが自然の姿です。この身このまんまです…恥ずかしいまんまです。
だってそれより他に生きられないのですから…。
「自分はここに居ていい存在なのでしょうか」…そんなあなたの問いにお答えは出来ません。
「良い」とお答えすれば、一時は安心されるでしょうが、また職場でお辛い思いを重ねることになり、そのことを堪え忍べという意味にもなってしまうでしょう。
また、「良くない」とお答えすれば、自分はやはり駄目な人間なんだと落ち込んでしまわれるのではないかと危惧致します。
結論は御自身で出して下さい。
今、とても御心が、そして同時にお身体が疲れてしまっているように思います。
会社辞めたら…命終わってしまうわけではありません。それは断言出来ます。
そして、一つ申し上げたいのは「私はいつこの会社を辞めてもいい」という思いでお仕事をなされることかと思います。
会社への未練、世間体、給与、今後の生活…頭によぎるでしょうが、実は大したことではありません…あなたの命に比べれば…長い今後の人生に比べれば…。
まず、今日一日やってみよう…そんな思いで生きて下さい。
明日のことは…明日のその時に考えましょう。誰だって明日のことなんか分からないのです。
何があるのか…どんな事件が起こるか、最悪の状態になるか、幸運が舞い込むか…誰にも分かりません。
でも明日まで生きていれば…当然、それが分かります。生きることの素晴らしさ、有り難さです。
決断は御自身でなさって下さい…それはいつでも良いと思います。
あなたの新しい人生を、いえ、または今のお仕事を続ける人生を仏様とハスノハ僧侶方は応援し続けます。
質問者からのお礼
小林 様
ご回答ありがとうございました。
御礼が遅くなりましたこと、申し訳ありません。
自分の考え方ひとつと受け止め、役に立たないながらも出来ることを頑張ります。