hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

いっつも

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

独身です。

いっつも、いっつも、素敵だなぁ~って恋心を抱く男性は蓋を開けると必ず既婚しており、その時点で落ち込んでます。

毎回、たまたまですが既婚ばっかりに惹かれていく自分が嫌いです。

夢みたいなことですが、ごく普通の独身男性を好きになり、普通の素朴な恋愛をして、普通の結婚がしたいです。

みんな、普通に恋愛して結婚してんのに、偶然既婚ばっかり好きになり、既婚と聞いた時点でいっつも撃沈。

こういう巡り合わせばっかりなのは、私の素行が悪いからバチが当たってるのかなぁって悩んでます。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでも男はゴマンといます

妥協はいけません。
結婚は一生ものです。
どんなに素敵な人を選んだつもりでも必ず悪いところがあります。
その悪いところはあなたにとって悪いだけで、他の人にとっては何でもなかったりします。
幸せな結婚をするのではなく、どんな悲惨な相手であっても幸せになれる結婚をする必要があります。
その為には、仏道を学んで(自己を学んで)自分がどういうことに腹を立てたり、怒ったりするのかをよく知り、悩んだり苦しんだり怒ったりしなくなる正確になる必要があります。(必須)
小石につまずいてコケる人は沢山います。
そこでコケないようになりましょう。
コケても、全然気にしない人になりましょう。
その為には、自分の思いから自分が影響を受けなくなる必要があります。
それをへっちゃらにするのが仏道です。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたの好きなタイプがそうなのでしょう

たまたま、あなたの好きなタイプが、既婚男性の持つ落ち着きのある人なのでしょう。

いっつもではなく、その時その時、一回一回の出会いのことであり、そこに、過去に付け足して物事を考えないことが、大切です。

いっつもなんて言わず、出会いを大切に、求めていれば、いつか出会えるかもしれませんよ。

過去の行いとか、そういうものと結びつける必要は全くありません。たまたまです。ご安心ください。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

見る目のある人なのだと思います。

それはきっと本当にたまたまなので、むしろ「自分って見る目あるんだなあ~」と思っておきましょう。
選ぶ人が、必ず他の誰かに選ばれた人なのですから。

そのうちきっと、誰にも選ばれる前の方にめぐり合うことができると思います。
それまで、自分の見る目を磨いておき、肝心なときに判断が鈍らないようにしましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

浄土宗の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間のサラリーマン生活ののちに、この羅漢寺にお世話になり、2014年に住職として晋山いたしました。 現在は、「ここより」というサイトの編集長を務めています。 まだまだ悩める道の途中ですが、少しでも皆さまの力となれるよう、がんばります。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

まだまだ、自分の未熟さがわかりました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ