感情
私には高校の時一番仲良しがだった子がいました。ですが専門学校へ入った頃から彼女がコンパなど行き始め私はそれ系統は苦手な為にほとんど合わなくなり、その頃から彼女は別の人ととても仲良くなり、その子が辛い時は夜遅くても会いにいくといった程仲良くなったそうです。いつも一緒にいたのは私だったから寂しくなってました。そんなある時社会人になってから、私は体調を壊して入院することが2度程ありました。それを彼女は知っても、1度も会いにきてくれる事なく、電話さえも今は旅行中だからと出てもらえなかったこともありました。そんな彼女が略奪愛をして、先日結婚しました。結婚式にはよばれましたが、スピーチも仲の良い友達との話しで固められており、私との思い出は彼女の中にはありません。こんなこともあったねと私が話すと、そうだったかな?よく覚えてるなあと言われて、ショックでした。私にとっては今が薄くてもいつも一緒に本当にいた友達だったから大事にしていた記憶でした。
結婚式中も、私は祝福しつつもどこか冷静な目でみていて、特別嬉しいとかの感情はなくて、向こうも特別私をみることもなくあっさりと時が流れました。私は社会人になり病気になる事が増えてからは、本当に私の事を気にかけて大事に思ってくれている人が誰なのか分かりました。だから、そういう今の温かい友達を大切にして、過去の思い出に縛られてたりいつまでもその子に執着してはいけないのだなといいきかせています。ただ、手のひら返したようにまるで仲の良かった時代を忘れたと言われたのは本当に悲しかったです。結婚式にはお祝いしたくて退院してようやく無理をしてどうにかしていきましたが、再度、寂しい気持ちになりました。人によるかもしれませんが、人は大事な過去を忘れて、今が楽しければ良いというものになるのですね。。腹がたちましたが、執着してる自分が一番悔しいです。
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執着は人間に生まれた証です。
つらいですね。文面からつらい気持ちが伝わってきます。多かれ少なかれ同じような体験を誰もがしています。つらい悲しい気持ちにはなりたくないので、誰もがごまかしながら生きていると思います。しかし、あなたは「どうして?」という気持ち、執着は消えないといわれます。よくわかります。私自身がそうだからです。執着を執着として自分を見つめる姿をすごいなと思います。それは、「あったことをなかったことにできない」からです。人間の身を生きる限り執着はなくならないと私の親鸞聖人の教えに生きた先生は言われました。しかしくるしいですよね。相手を嫌いになんかなれないからです。私たちは、嫌いという形で、あるいは苦手というかたちで目の前の人と出会っていきたいと願っているからです。それが人間に生まれた証です。あなたの大事な友人は、大事なことをあなたに教えてくれています。誰もがあったことをなかったことにしては生きていけません。そしてその出会いも決してあなたにとって無駄なことではないと思える日が必ず来ます。人間は弱いものです。執着は消えません。だからまずます誰かと本当に遇いたいと思うのです。このことによって、また新しい出会いがあります。大丈夫です。
質問者からのお礼
ありがとうございます。この思いを通して様々な気持ちを味わいましたが、これもお勉強ですね。いつまでもとらわれる、他にも大事にしてくれる友人を大切にしたいと思います。人はそれぞれ人生の歩き方が所々で変わっていきますから、どこかで私とその友人も交差点があったのかもしれません。少し距離はありますがそういう関係も受け止めてこれからはお付き合いさせてもらおうと思います。
ありがとうございました。