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まともに生きていける気がしない

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有り難し有り難し 36

何度も何度もごめんなさい。けれど、もう生きることも死ぬことも辛いです。
9月卒業予定の大学院生です。小学生頃からずっと周囲と馴染めず、大学時代に完全に生きることが辛くなりました。
大学では思う存分自分の心と向き合い、ようやっと自分が「どうして生きるのが辛いのか」という疑問に対し、「社会的に求められている努力が出来ない」「そもそも社会的能力が低い」という結論を出し、「仕方ないよね」と自分を慰めようとしましたが、結局それは生きる権利を放棄することでした。
視点を極限まで狭め、「私」と「あなた」という一対一の関係を長い時間をかけて構築することが許された院生時代では生きていける気がしたのですが、いざ卒業を前に就職活動を考え現実を見ると、「まとも」に就職活動や業界研究をしてきた人々から大きく離されていることを感じ、怖くなります。
そうでなくとも、私はこれからの社会に生きる権利が残されているとは到底思えないのです。人口に対し資源が少なくなった現代では人々の余裕が無くなり、這い上がらなければ淘汰される時代です。逃げ切れなかった草食動物が肉食動物の餌となることと同じです。
どうにか「生きていること」に対して希望を持ちたいと院に進んだのですが、結局は何も変わりませんでした。親に多大な経済的負担を強いていながら、その恩を返せる気もしません。けれど結局は私の努力不足による自業自得であるため、誰も助けてはくれません。助ける余裕が社会に無いのです。
現実のニュースを見れば見るほど、この世界から余裕が失われていくこと、生きる権利を持つ人間が限られていくことしかわかりません。本当は、社会は「役立たず」を排除したいはずです。「役立たず」を生かしているから「まとも」な人間の取り分が少なくなる、と考えているはずです。
思考で腹は膨れません。呼吸が苦しいです。皆辛いことを我慢して頑張っているのに私は頑張れないでいます。他人に対して安心できません。それが家族であっても。
もう嫌だ。弱くてごめんなさい。生きていてごめんなさい。死んだ先が本当に何もないならもう死にたいです。死んだ先にまだ「生きさせられる」と思うから死も選べないでいます。生きていることも死ぬことも辛いです。全て投げ出す? 許されません。死ぬしか楽になる方法は無いのに死んでも楽になれません。もう何もかも壊れてしまえとさえ思います。ごめんなさい。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どうかこれから健やかに

拝読させて頂きました。
あなたの今の苦しみやお悩みの様子を読ませて頂きました。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
今の世の中生きていくことは確かに大変な事です。社会に出ればその荒波にもまれて生きていくのは苦しみの伴うとは思います。あなたがおっしゃるように人間関係もとても大変な部分はあります。
確かに生きていくのに今一番不安になり難しいのは人間関係です、それに利害が絡んでいきますからとてもややこしくなっていきます。人間関係での悩みが一番多いのが現実です。
それは何故か、やはり思い通りにいかないからですね。
どうしても自分を優先して人に対して悪く言ってしまう、自分は悪くないと思ってしまうからです。
そのような思い込みが変わるだけで実は生きやすくなるのも事実なのです。
目先の生存競争ばかりに囚われてしまいますと本当に大切なものを見失ってしまいます。
自分のエゴばかりを通そうとすると本当に大切なものはこの手のひらから零れ落ちていってしまいます。
それがわかっていながらそれでも優先しようとする己の愚かさに気がつき、そうではないと心を改められればだいぶ違って見えて参ります。
電車に乗り遅れないようにと我先に乗り込もうとするから多大な軋轢が生れていきます。ものすごいプレッシャーを受けて傷つくこと承知で皆が突っ込んで行っているのです。

本当はその電車に乗り遅れてもいいんです、或は人に譲ってもいいんです、電車でなくて歩いてもいいんです。
極端に言えばそんなに急ぐ必要なんてないんです。人を押しのけても奪い取る必要はないんです。
争って我先に勝ち得なければならないことは本当はないんです。
世の中や資本主義社会やグローバル社会が作り出した幻想なのです。
日本で勤めるところがないか?或は何も食べる物もないのか?人を蹴落として騙さないと奪わないと生きていけないか?
確かに戦時中や大恐慌によってその様なこともあったかもしれませんが本来は違います。
私達は独りで生きているのではありません。よく見渡せば共に助け合って生きています。困る人に手を差し伸べる心ある方々もいます。そして自分も誰かの役に立つことはできるのです。
どうか諦めないでくださいね。人生そんなに捨てたもんじゃないです。そして必ずや仏様が救って下さいますからね。
あなたがこれから健やかに生きていかれます様心より祈ってます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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