hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

流産ー話す相手、内容、気持ちの整理、供養のこと

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

先月初めての妊娠が分かりましたが、それと同時に流産の危険があると言われました。3週間安静にしましたが、一旦は確認できたやや遅めの心拍も、数日後には確認できなくなり、(稽留)流産との診断が下りました。手術は怖いですが、早くまた妊娠できる身体に整うよう、子宮内に留まった胎児を摘出する手術を受けてきます。

妊娠が発覚してからずっと仕事を休んでおり、手術後も併せると1か月は休むことになるので、上司には先行きが見えないうちから逐次、報告してきましたが、同僚達には何も伝えていません。でも、急に1か月もいなくなって、どうしたのか聞いてくる人はいるだろうと想像します。1人、私の存在を疎ましがって職場で意地悪や冷たい態度を取ってくる年上で未婚の女性がいるので、辛かったことを周囲に分かってほしいとは思うのですが、彼女に追い打ちをかけられないよう伝聞しないようにしたいと思うと、誰にも話さないのが今は得策かと思うのです。周囲は未婚者ばかりなので、流産した辛さは私と同じレベルで分からなくても無理ないと考えると「ちょっと予想外のことが起きてね」か、もう少し踏み込んでも「ちょっと体調崩して手術した」位にしようと考えています。時が経って、もし、この人には話せると思えば、話そうかな、と。それでも充分、復帰後に何とか円満にやっていけるでしょうか。何を心がけたらよいですか。

他方で、つらい気持ちについては、似たような経験をした人と語ることで癒されるし、時も解決してくれるかとは思うのですが、今は、お腹の出た妊婦や赤ん坊を抱いた人を見ると、目を背けたくなります。自然淘汰の結果として自分の子は流産したのだろうと思っていても、やはり心拍を確認できて、弱弱しくても命が宿ったことを確認しただけに、辛いです。そういう妬みのような気持ちも、時が解決してくれるでしょうか。

8週目での流産と言うと、胎児の大きさとしては1センチほどで、病理検査に出すそうなので、お骨は貰えなそうです。そういう場合でも、供養はできますか。夫は心拍が画面で見えた時には立ち会っていないので、子供が居た実感は無いみたいですが、私の気持ちの区切りとしても、一度は存在した命を弔うためにも、何かしたいと考えています。引越が多いので、どこにどう供養したらいいかも悩んでいます。アドバイス頂ければ嬉しいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生命の神秘は 「わたしの子」ということを超えている。

まず、私は男性ですので、あなた様の深い悲しみについて完全には理解できないですが、出来る限りの事を苦しみをなくして頂く為にお話しさせていただきます。
最近思うことですが、子供というのは、父親のものでも、母親のものでもないなぁ、ということを痛感しています。子供は子供独自の独立存在です。これは私が出家人だからというより、生命の真実としてです。
勿論、父親の精子と母親の卵子とで生命として誕生します。そして、女性の子宮を母体として誕生してきますから、当然なのですが、母親を軸として生まれてきます。
そこで、母親側は、つよく❝わが子❞として意識してしまいがちになると感じています。勿論それでいいのです。ですが、それでも、それでも、生まれてくると、母親とは分離して、別存在、別行動、別別の生命体なのです。もう一度、申し上げますが、私は女性ではないので、女性の気持は分りかねますが、それでも苦しみを取り除いて頂きたいがために申し上げるのですが、仮にお子さんが流産であっても、生命の深遠な姿からいえば、母親のせいでも何でもありません。
だから、どうかあまり責任を感じない様にして頂きたいのです。
我々には、より良き、より強い、より環境適応能力の高い子供を産もう、とする力が働いているのだそうです。それが、働いているが為に一度は流産してしまったとしても、次に生まれてくる子は、大変丈夫な子であったり、ものすごく環境の変化に適応する力が強かったりする場合があるのだそうです。そういう丈夫な生命をこの世に送り出して頂く為に、この体というものが、環境の変化、状況に応じてそうなってゆくという事があるものです。そうして世を観ますと、個我の考えとはまるでかけ離れた、生命の神秘としてのありようがあるという事に目覚められるはずです。
会社の人がどう思おうが、そういう生命の尊さとはまるで無縁な様子ですから、相手にしないことです。あなたも詮索し過ぎであると感じます。空気は読み過ぎない方が、妄想が無くなります。そう思う人は変えられません。こちら側が強く生きる。自分を生きる他ありません。一生そういう人の顔色ご機嫌を伺って生きていたって無駄な心労にしかなりませんから、私は相手にしていません。供養に関しては、流産の場合は後々気持ちが残らない為にも、あえてしない方が良い場合もあります。あなたが気持ちが楽な方を選んでください。

{{count}}
有り難し
おきもち

それは残念でしたね

残念でしたね。辛いお気持ちでしょう。私たち夫婦は隣室で試験勉強をしている娘を授かるまで、七年の時間を経ましたのでいのちの尊さについて少しだけ感じるところもあります。しかし、無事に育っているのですから、あなたのお悲しみを本当には分かりません。そのうえで私なりにお答をさせていただきます。

仏教では母胎に生命が宿ったときを誕生と考えますので、流産なさったとしてもお子様はいのちを授かったことになります。そのお子様の供養を、とお考えでかつ転居が多いのでしたら各宗派のご本山または東京地区の本部寺院にお尋ねになり適切なお寺を紹介していただくことだと思います。あくまで私の属する浄土真宗本願寺派を一例としますと、東京の築地本願寺ということになります。いまはインターネット上で容易にこうしたことを調べることができますので、これに準じてお調べください。そして大切にお勤めしていただきたく存じます。

職場の人間関係については私には分かりかねますが、私の知る範囲では女性ならみな共感的に理解なさるものと思います。あまりご心配なさらなくてもよいように思うのですが、女性同士の人間関係については私の思いを越えているのかもしれません。しかし、誠実にあるがままに生きるが大切であるように思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ご回答どうも有り難うございました。手術を受けてきて、今は家で身体の回復を待っているところです。一度は心拍が見えていただけに、そこに命があったということを強く認識しており、手術をしたことで更に喪失感も募りましたが、頂いたお言葉で楽になりました。とても短かったけれど、生命の神秘を身近に感じられる機会を得たことに感謝したいと思います。初期流産の大半が自然淘汰の結果と聞いているので自責の念には苛まれていませんが、きちんと天へ旅立って、次の生命に生まれ変わってほしいと思うので、地元に近く帰った際に、両親の名前でお札を書いて、読経と共にお焚き上げをお願いしようと考えています。「空気は読み過ぎない方が妄想がなくなる」とのアドバイスも有難うございます。人にどう思われるかを考えすぎないように心がけたいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ