後悔しない方法を教えて下さい。
随分久しぶりに相談します。
私はまた、決断を間違ってしまいました。
以前、ここで相談した時には、仕事の事で悩んでいましたが、今は、新しい職場で頑張っています。相談に乗って頂いたお坊さんには、本当に感謝しています。今でも時々、読み返しています。
仕事が増えて、子供を留守番させる事が多くなり、寂しくないようにと、以前から子供が欲しがっていた猫を飼いました。保護猫の譲渡会で姉妹猫を二匹、お試しで飼って見る事になりました。でも、連日の夜泣きや粗相、思った以上にお金がかかる事など、飼っていけるだろうかと不安になっていた時に、私が病気になり、急に一ヶ月ほど入院することになってしまいました。
入院中、猫の世話が大変だと、しんどそうな顔で言う主人の顔を見ていると、益々この先飼っていく自信がなくなり、保護主にねこを返してしまいました。
退院して一ヶ月、やっと、体力も戻ってきて、やっぱり、もう一度、あの子たちを飼いたいと思い始めて。
猫を返すとき、主人は反対したのに、それを押しきって返してしまいました。今は、すごいすごく後悔しています。なにより、猫と遊んでいた時の子供の笑顔をもう一度みたいです。
我がままなのは、重々承知です。主人も反対しています。やっぱりむりでしょうか。
いつも後悔ばかりです。後悔しない生き方を教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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後悔よりも反省を
こんばんは。今までの問いも読ませていただきましたが、ずーっとこの、「後悔」の問題を相談されていますね。で、パッと思ったのは、「後悔が浅いのではないか」ということです。もっと酷い結果を体験しなければ「我儘」とか視野の狭さを改めるに至らないのではないか。猫ちゃんがいなくても、当面壊滅的な問題にはならなさそうですもの。その失敗にフォーカスして「後悔して」も、結局は自分の考えを通してきたからこそ、同じ轍を踏んでしまうのではないかと。
だからまず第一歩として、何か決断をする時には、自分で自分に聞く癖を付けたら如何でしょうか。「いいの?私、後悔しないの?」と。それで「後悔するかも」と不安になったら、それはやらない。自分で決断せず、人に任せる。「自分で(任せると)決めたんだから、仕方ない」と、自分の甘さを認める。それができると、ちょっと楽になるかも知れません。
でも、その先には「後悔するより反省しよう」があると思います。後悔する場面に来たら、徹底的に自己分析する。「あの時こうしたらば」という仮定の話ではなく、「あの時こうしたから」という原因を探る。自分の失敗パターンを調べる。どこかに書いておいてもいいです。
良い練習のやり方には、コツがあります。「高めの目標」と「一生懸命な努力」と「評価と反省」です。「自分が嫌い」という感情レベルではなく、「自分はダメだ」という可視化できるレベル。
ついつい「後悔する」に逃げ込んでしまうのは、この「自分のダメさ加減」をあまり見ずに済む」というメリットがあるかも知れない。そんな風に思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
いつも自分で質問を書きながら、私は何て最低なヤツなんだろうと思います。お坊さん方もきっと呆れてるだろうなと思うのですが、いつも優しい言葉をかけて頂いて、感謝というより、申し訳ないです。
確かに、私は後悔という言葉に逃げています。クヨクヨ悩んでいる割には、どうしたら同じ失敗をしなくなるのか考えたことがなかったです。仕事を増やした時も、猫を返した時も、後悔するかもしれないな、と思ったのに、結局目の前のしんどい事から逃げていたんです。分かっているのに同じ失敗を繰り返してしまう。後で振り返ると分かるのに、その時は、客観的に見る事が出来ないのです。
入院する前は、ずっと寝不足で、入院中も中々眠れませんでしたが、猫の鳴き声がしない、猫のオシッコ臭くないベッドで寝られる事がちょっと嬉しかったです。その反面、そんな風に思う自分は最低だなと思ったり。でも、眠れないときは、猫の背中を撫でている時の手触りを思い出すと、穏やかな気持ちになれたり。けど、退院後、また、睡眠不足になって体調崩したらどうしようとか。
私は多分、猫が居ない事より、子供に辛い想いをさせてしまったことを後悔しているのです。仕事に関してもそうです。自分が決めたことで、自分が嫌な思いや辛い経験をするのは仕方ないと思うのです。でも、また、私のせいで子供が辛い想いをしてしまったなと思うと、後悔が止まらなくなります。子供はすごくいい子で、ほとんどワガママをいいません。留守番も、本当は寂しいのに寂しくないと言ったり、猫も、ママが病気になるぐらいならいなくてもいいと言います。わたしが親なんだから、子供の気持ちを汲んでやらないといけないのに、子供に私のワガママを聞いてもらっている状態です。そんな自分がすごく嫌です。
私も、子供の頃、自己主張が苦手で、いつも親に従っていました。親からすれば、育てやすい子だったと思いますが、今でも、自分の思い通りにならないと直ぐにキレる母を、鬱陶しく感じる時があります。私はあんな風にはならないと思っていたのに、私だって母と変わらない。
今までの後悔の一番の要因は、子供の気持ちを一番に考えなかった事。良い親で居られないこと。
私は、正直、自分の母が嫌いです。ここまで育ててもらって、自分も親になって、母の大変さも理解しているつもりですが、それでも、幾分嫌い度が減ったとしても、やっぱり好きになれません。私は、母みたいになりたくない。自分の子供から嫌われるような母親には。でも、気づいたら、そんな母親になってる。子供は、私の事を好きだと言ってくれるけど、本当は、嫌いなんじゃないかって。
私は、子供の頃から、「あんたみたいな陰気な子、見てるだけでイライラするから嫌い」と母に何度も言われて来ました。親に嫌われる私って生きてる価値ないんじゃないかなって、小学生の時から、たくさんの遺書を書き、何度も自殺を考えました。今思えば、本当に自殺したかったんじゃなくて、母に私が苦しんでいることに気付いて欲しかった。大切なひとから嫌われるのは、凄く辛い。
子供にそんな思いはして欲しくない。
もし、子供が、自分のワガママを言うと私に嫌われるかも知れないと思って、我慢しているなら、凄くつらいです。何があっても、どんなことをしても、ママは僕の事を嫌いになんてならない。子供にそんな風に思われる母になりたい。簡単なようで、難しい。
きっと、それが出来ない自分に自己嫌悪しているのです。
今回、解答を読んで、自分の気持ちを分析して、文章にしてみて、何だかスッキリしてきました。
子供と一緒にいる時は、出来るだけ楽しい時間を。猫も、やっぱり、またいつか飼いたいです。
長文で、内容もずれてしまってすいません。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。