憂鬱な気持ちが晴れません。
最近、生きていかなきゃいけないのは面倒くさいと思ってしまいます。一般にこうあるべきという社会に求められる人物像と自分との違い。世間が思い浮かべるような充実した大学生活を送れず無気力に過ごしている自分。そんなことに囚われて気持ちが暗くなります。そして自分のことを自立できていない甘ちゃんだと自覚してしまうので辛く感じます。
この気持ちをどうしたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愚者の自覚
ハナさんはじめまして!
私も大学生のとき同じような事を思いました。
親に大学まで行かせてもらい、お金も出してもらい、兄妹の中では私だけが大学に行かせてもらってるのに、単位は取れず、怠惰な生活を送っている己の情けなさに泣いたこともありました!
今思い返しても、そこでまた泣いとる様なあまあまの大学生やったなぁと今は少し落ち着いて思い出します笑
情けない自分でした。
でも今思い出してみると、
今の様に性根を入れてお坊さんとして生きて行きたいな。と思える様になった第一歩だったな。と思うんです。
そんな情けないままじゃいけないな。
と動き始めたきっかけだったと思います。
私の宗派では
『愚者の自覚』という言葉をよく使います。
私はなんて愚かなんだ!という自覚を持ちなさい。
ということです。
それが第一歩だよ。
ということです。
私以上の人間はいない!
ここまで思えるのはごく少数派だと思うんですが、
人間だいたい
『私は不出来だけど、あいつよりはマシか』
と自分を棚に上げて、人と比べて自分の在り様をごまかしちゃう傾向があります。
それじゃいかんよ。
それじゃ前進もないよ。
まずは己の情けなさ、いたらなさ、愚かさ。
こういうもんをごまかさずに見なさいよ。
自覚するところから始まるんだよ。
ということなんです。
お釈迦様も
自らを賢者であると思う者が愚者であり。
自らを愚者であると思う者が賢者である。
とおっしゃっています。
実はなかなか大事な自覚をハナさんは持っておられるんだと思います。
お互いに、そんな自分に目を背けず、いたらぬ自分と共に歩んでいきましょう。
質問者からのお礼
ためになる回答をありがとうございます。
愚者の自覚を持つことは大切なことなのですね
あまりネガティブに捉えず情けない自分と向き合っていきたいです。