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神様の気持ち

回答数回答 3
有り難し有り難し 59

こんにちは。
今日教えてもらいたいのは、神様が人間の事をどう思っているのかという事です。
自分の家の近くに神社があります。普段は人があまりいないので小さい頃から近くで遊んだり、階段を走ってトレーニングしたりお坊さんや巫女さんと話したり結構自分の思い出に関わっているところです。最近も週に一回は特に願い事もないのですがお参りをしています。
そこで思ったのは特に願い事も何もない人間が何回もお参りにくることについて神様はどう思っているのかということです。その神社は宗像三女神(よく知らないのですが、、、、)という神様を祀っているらしく、ご利益を調べても参って得するものでもなさそうでした。悩みがあって参ってくる人にはなんらかの助けをしたいと思うのでしょうが、何の目的もなくふらーっと来て賽銭を入れて手を合わせて帰っていく自分には「あ、またこの人来たのかぁ」ぐらいなのかなぁと思いました。
気になったので質問させてもらいました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

Stand by Gods.

むか〜しむかし、アマテラスのオオミカミという神様がいました。アマテラスのオオミカミは弟との人間関係がうまくいきませんでした。そしてある時、「私はいつもいつも乱暴な弟をかばい、守ってあげているのに弟は私に嫌がらせばかりします。どうして正しいことをしているのに私ばかり理不尽をされるのでしょうか。もう何もできません。仕事にも行けません。頑張ろうとしても身体が動かないんです。仕事のことを考えると体調も崩れてしまいます。何も考えられません。このまま消えてしまいたいです。」と言って天の岩戸(あまのいわと)という所に引きこもってしまいました。

アマテラスのオオミカミは太陽の神様です。太陽が日本の元祖引きこもりニートになってしまったので、こりゃあエラいことです。

八百万(やおよろず)の神々は大慌てで有識者による緊急対策会議を開きました。そして衆院・参院を通過した政策は、裸踊りでした。うぅむ…さすがHENTAIの国ニッポン。。。
そこで芸能のアイドル神、八百万48のセンターであるアメノウズメがオッパイ丸出し、チクビ無修正、アンダーヘアぎりぎり見えちゃってる状態で、霊媒師みたいな神懸かりダンスをすると天の岩戸ドームは爆笑乱舞。神さまが神懸かりダンスなんてロックだぜ。

突然の大爆笑を聞き、かまってちゃんなアマテラスのオオミカミは「アタシが引きこもってんのにみんなで明るくパリピとか何ごと???(謎)」とウッカリ様子を見に出てきました。そこを力自慢の神様に確保され、元の太陽業務に社会復帰させられましたとさ。めでたしめでたし。

一言に神様と言っても八百万もいらっしゃれば色々なのではないかなと思います。人間だって人好きな人、人嫌いな人…色んな人がいますよね。
でもただ1つ言えることは、神様はみんなと繋がっていたくて、楽しいことが大好きで仕方がありません。願いごとなんか無くていいんです。笑顔を見せてあげて下さい。そして笑えない時があったなら、そっとそばにいてもらいましょう。

お坊さんはそう思いますぜ。
※お坊さんは仏さまの専門家ですが、神さまの専門家ではありません。いい加減なことを言ってる可能性が微レ存と言いたいところですが、確定的に明らかである感は否めません。ご了承ください。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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喜んでおみえですよ

ご自身の意思で、参ったとお思いでしょうが

実は、神様に、護られ、引き寄せらたのですよ。

神様は、佛様は、人間如きの考えが及ばないくらい 。温かく 大きいです。

その懐に、抱かれてください。

素晴らしい、人生です、 どうぞ、幸福になられますように。

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長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
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ニュートラルに見ていらっしゃられる

Isa様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

神様が仏様と同様となるかは、やや分からないところはございますが、仏様から私たちに、これをしてほしい、あれをしてほしいということは、特には無いと思われるため、あえて申せば、ニュートラルに見ていらっしゃられることになるのではないだろうかと存じます。

これをしたから願い事を叶えて下さる、希望を聞いて下さる、ということも、正直、無いというところでございます。

願いや希望も叶うかどうかは、やはり何よりも自分の行いの因縁(原因と条件)次第によって参ります。

仏様や神様への供養というものも、敬意として行うと共に、その教えを貴び、己の心、行いを清らかに、善いものへと調えるために成すべきものとなります。

別に、仏様、神様は、あれをしてほしい、これを供えてほしい、とか、元々はそんなのはいらない(十分に備えられておられる)というお立場でもあられます。あくまでも、お供えというものは、私たちの敬意としての心の表れ(荘厳)としてなのであります。

もっとも大切なのは、何よりも仏様、神様の御心、お教えに適うような生き方を調えるというところとなります。

どのようにして、己の心、行いを清らかに、善いものへと調えていくべきか、是非、これを機会にお考えを頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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