斟酌しない神仏をなぜ拝むのか?
いつもお世話になります。 私は、神社やお寺で色々な神仏を拝んでいるのですが、一つ神仏を拝む中で引っかかる点が出てきました。それは、神仏は、自殺者を斟酌しないと言う点です。よく自殺者は、死後の世界で神様から与えられた命を放棄した人達であるからあの世で大変苦しい業が課せられるとよく あちこちで耳にします。 ただそれって不条理ではないでしょうか?自殺をする側も好き好んで自殺なんてしないはずだと思います。神仏が、全能ならその辺を斟酌してもいいと思うのですが、そんな話はあまり聞かないし そこで、思うのですが、自殺する側の意見を聞かない神仏は拝むに値するものでしょうか? ちなみに私自身 自殺未遂の経験者です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そのよく耳にする話は他の宗教、例えばキリスト教などの話ではないでしょうか?
神様のことは専門ではないので分かりませんが、仏様は自殺した方を苦しめることはありません。
例えば阿弥陀仏は自殺であろうと病死であろうと、どのような命の終わり方であっても迎えに来て、極楽浄土に連れて行ってくれるのです。
極楽浄土ではその名の通り楽しみがあるばかりで、苦しむことは何もないのです。
ですから、安心して生きてくださいね。
試練の責任はお釈迦さまにはない
こんばんは
なるほど。おっしゃる通りと思います。神様、少しは手加減してよぉって思う事もありますよね。
一方で仏教というのは、ご縁で発生した出来事にいかに対処するか、という教えだと思います。仏教が試練を与えるのではなく、試練の対処法を導くのが仏教だと思います。試練の責任はお釈迦様にはないと思います。
私はゲームをやらないのでよくわかりませんが、RPGゲームは、敵が現れたら、戦う、逃げるなどの選択をして、戦うにも今持っている装備やじゅもんなどを使って戦いますよね?RPGに例えれば、仏教は敵を出すのではなく、装備やじゅもんの使い方を示す教えだと思います。
私は、お釈迦様と、お釈迦様の教えと、それを実践している人たちに手を合わせているのです。
あんまり良い答えじゃないかなぁ?あ、そうそう、遠藤周作さんの「沈黙」という作品があります。一度お読みになると良いと思います。
質問者からのお礼
サイガ和尚 ありがとうございました。
聖章 和尚ありがとうございました。
聖章 和尚ありがとうございました。
光禪 和尚 ありがとうございました。