必死さを和らげるには回答受付中
お世話になります、今年もハスノハに大変助けられ、心より感謝しております。
必死になりすぎている心をどうしたら緩めることができるか、ヒントをいただきたく、投稿しました。
私は30代半ばで大学院に入り、そこから今(大学非常勤講師)まで、かなり必死に頑張ってきました。それまでどんな仕事も長続きせず、頑張ることができず、無職期間も長かったのですが、自分の関心ある分野での研究なら社会に参加できそうだと考え、退路を断つ感じで大学院に入りました。とても有益な時間でしたが、頭の中にはいつも、「自分は社会人としてはまともに働けなかった、皆よりかなり遅れをとっている、ここでの勉強さえ放棄したら、もう後はない、まともな人間にならなきゃ」という強迫的な考えに追い立てられている気持ちがありました。
現在、なんとか大学の非常勤講師になり、自分の関心を生かした仕事をしているという点では、昔の自分からは想像もできない進歩を遂げたと思います。しかし、収入は不十分ですし、研究者、教師としての自分を見ると、卒業大学や専門知識やスキルの点において、他の先生に比べかなり劣っている、未熟だと気づきました。そこで、またあの「自分はいろんな面でまだ劣ってる。まともな人間にならなきゃ」という気持ちが出てきてしまい、毎日の仕事や研究が、生死をかけたような【必死】なものとなり、心や頭のエネルギーがかなり消耗しています。
研究分野については、大好きな気持ちは変わりなく、これからも、この業界で頑張りたいのですが、「自分はここでダメならもう終わり」というような必死な気持ちではなく、なるべく楽しくラクな気持ちで取り組んでいくには、どうしたらいいでしょうか。
どうぞ、仏教の知恵をお貸しいただければ幸いです🙇
お坊さんからの回答 2件
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多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
必死と努力は違うもののようです
人は関心への集中が深まり、またその対象が大きければ大きいほど、その対象との関わりが自分の生活の全てのように勘違いしてしまいます。「このテストで合格点を取れなければ、私の人生は終わりだ」「この書類が期限までにできなければもうアウトだ」と思い込むことは、誰にでもいつでも起こりうるものです。ですが、現に合格点を取れず、期日に間に合わなくても、そこで急に命を落とすことはなく毎日の生活は続いていきます。
また、対象の大きさというものは結局、本人の認識によるもので、実際の様相とは関係がありません。鯨だと思った対象が実はメダカだということもあり得るのです。どのような対象であれ、関心の度合いがどうであれ、それとの関わりは結局、自分の生活の部分(パーツ)のひとつに過ぎないと正しく観察できれば勘違いを回避できるのではないでしょうか。
必死とは「それができなければ必ず死んでしまう」、逆に言えば「これができれば死んでしまってもいい」と思い込んでしまうことで、目標に向かって工夫実践することとは実はあまり関係のない心性のようです。その思い込みはややもすると正常な判断をくるわせ行動をストップさせてしまうことがあります。
救急診療に長くたずさわっている外科の先生にうかがったことがありますが、厳しい状態の患者さんに対応する時、よく心の中で「ミッキーマウス、ミッキーマウス」と歌いながら処置することがあるそうです。剣豪の宮本武蔵は「切所では笑え」と弟子に教えたそうです。おそらく、いずれも必死の思い込みにとりつかれないようにとのオマジナイなのでしょう。
何事かを成し遂げるには努力が必要なのは言うまでもないでしょうが、それは必死とは違うもののようです。必死の思い込みは「自分の努力はまだまだ足りないのではないか」と際限のない妄想に結びついてしまうかも知れません。
歌舞伎役者で人間国宝になった坂東玉三郎さんは「努力は絶対に必要。だが、努力を続けるには、第一に命と健康を守らなければならない」とお話しされています。
すでにご存じかも知れませんが、YouTubeに坂東玉三郎さんの短い動画がアップされているのでごらんになってみてください。
↓
https://www.youtube.com/shorts/GPc4DsVkLr4
https://www.youtube.com/shorts/7SGVt018yYo
劣ると考えず、一つひとつの積み重ねなのだと、焦らずに。
仕事が続かなかったのには、理由があったのではありませんか。人間関係や職場環境が複雑であったり、ストレスがかかっていたのでしょう。そんな仕事環境が続いたためではありませんか。
ですが今の仕事は、研究や指導、あなたのペースも大切にできているのではないかしら。
人にはそれぞれにペースがあるのですよ。他の先生を意識しながら、刺激にするのは良いと思いますが、劣っていると思うとキリがありませんよ。上には上がいるのですから。
まだまだだと感じるから、学ぶことを怠らず頑張りたいと努めるのです。それって、とても前向きなこと。
でも、これで終わりというのは、人生には無くて、何事も「学び」から得るものが成長。コツコツの積み重ねではないでしょうか。
私もいまの環境に入り、資格を得たのは30歳過ぎ。そこから20年が経ちましたが、まだまだ学ぶことばかり。
劣ると考えず、一つひとつの積み重ねなのだと。焦らずに歩みませんか。
質問者からのお礼
皆様、ご回答ありがとうございました😭
自分が遅れを取っているという気持ちは、これまでの人生で周りから言われたこと、自信をなくさせるような出来事の積み重ねでそうなってしまっているだけだと気づきました。必死さは、それに気づかせるためのサインだったのかもしれません。
正しく物事を見ながら、自分にとって大切な学び、スキルを一つずつ積み重ねていきたいと思います。
いつもありがとうございます😊皆様、良いお年を⭐️



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