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回答が追いついておりません。今を生きる人のために仏教の智慧を伝えてくれる僧侶の方を募集中です。

怖いことが多いです

度々お坊さん方にはお世話になっております。
ご質問なのですが、私には怖がることが多いです。怖がってしまう対象は、人や、会社や、学校、様々です。
例えば、今は、就職活動中ですので、この会社は自分が入って、いじめられないどろうかや、信用して本当に大丈夫か、進展はあるか、ブラックではないか、などです。
人でも、疑り深く、本当はこの人は私の事を嫌いではないだろうか、本当は影で悪口を言ってるのでは?などや、今言ったことに対し、嫌われなかっただろうか。などです。怖いというのは、相手を信用して裏切られたときに、傷付いたり、散々な目に会うのが怖いのです。会社選び、友達選び、恋人選び。なので、常に一人で生き、社会からぽつんと浮いてしまってる気がするのです。
人を疑り深い目で見ることは、大変失礼だと思います。ですが、20そこそこの経験が少ない大学生が、やれ恋人に裏切られ自殺だ、会社がブラックで働きすぎで過労死だ、などと、様々な問題があると言われると、警戒心が強くなり、こわがってしまうのです。そのため、結婚もしたくなければ、子供も欲しいとは思えないです。結婚すれば離婚のリスクがつきます。子供を授かれば、離婚をした時、自分が育てていかねばなりません。そうなると、私一人の収入では、どうしても子供に満足な生活をさせることは、このご時世厳しいです。
このように、様々なものを警戒して、行動まで中々踏み出せません。自分でも苦しくて、どうしようもなく沈んでしまいます。なにか、心持ちを変えられるようなことはないでしょうか?

心構え・生きる智慧
有り難し 7
回答 1

質問投稿日: 2017年9月28日 22:38

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

慎重である事は悪くないけど、失敗挫折も人生の肥やし!

まるまるさま、初めまして。
お気持ちはよくわかります。
最近、私の子供が自動車運転免許を取得した事で、思い出したのですが、教習所や免許更新講習の際、よく「だろう運転」「かもしれない運転」についてのお話しを聞きます。

「まさかこんな所から人は飛び出してこないだろう」「ちょっとお酒を飲んでしまったけど、このくらいなら運転できるだろう」というように、「だろう、だろう」と思ってしてしまう運転が、一番危険な「だろう運転」
対して、「車が来ているかもしれない」「人が飛び出してくるかもしれない」と、常に用心して注意深いのが「かもしれない運転」
安全運転の前提は常に「かもしれない運転」であると、教えられます。

車の運転は、これが正解ですが、まるまるさんの人生の「かもしれない運転」志向はどうでしょう?
「かもしれない」で生きて行く人生は安心ができません。「今日死ぬかもしれない・・・、明日死ぬかもしれない・・・」と、びくびく、おどおどしながら生きていかざるをえない思いがしてきます。それは先行きの見えない大変不安な人生となるでしょう。

私たちの浄土真宗では「他力本願」を主とした教えです。これは一般慣用句の解釈のような「ひとまかせ、他人をあてにする」という意では無く、

「あなたのいのちは、すでに私が引き受けてあるのですよ。だからあなたは安心して、せっかくいただいているいのちを、いま・ここで、精いっぱい輝かせて生き抜きなさい。そして、やがてそのいのち尽きたならば、わたしと共に真実のさとりの世界へかえろう」

と、ご本尊阿弥陀如来さまが「南無阿弥陀仏」の言葉(名号)として私たちに至り届いているということが、阿弥陀仏(他力)の願い(本願)であるという意なのです。

固い事を述べましたが、せっかく、いのちある ますまる さんの人生、多少の失敗・挫折はつきもの。いただいたこの身・人生を、時には未知の世界にチャレンジしながら、歩んでみて下さい。
何処かで誰かが必ずあなたを見守り助力し、時には叱咤激励してくれます。この目に見える形・見えない形、様々な「他力」に目覚めることによって初めて、どんな境遇でも、生き抜く力が、私たちの中に与えられるのです。

「他力」に依って生かされ、お任せしている身を知り、感謝の内に歩んでこそ、人生の安全運転ができるのですよ。精いっぱい輝かせて生き抜いてください。

1年8ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

ご解答をいただいてから、号泣しました。お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。いまでもみたたびに涙が出ます。ありがとうございました。

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