犠牲
※できれば女のお坊様にもコメント頂きたいです。
何故女だけ妊娠出産という犠牲を背負わなければならないのでしょう。
身体のしくみを聞いているわけではありません。
男は生殖に関しては女の上で気持ち良くなったらそれだけで子孫が残せる。
しかも種をあちこちにばら撒くことも簡単。
妊娠のリスクもない。
子どもができたって仕事をそのまま続けられる。
しかし女は自分の子孫をのこそうとすると妊娠出産せねばならず、それは腰が砕け散るような激痛を感じながらの命がけの行為。
ホルモンバランスが狂い自殺する人も多く、十月十日も行動を制限され、仕事も辞めなければならず、骨格も歪み性格すら変わってしまうこともある。
これを言うと中には「これは幸せなことなんだ」とか「女の特権だ」と言う人がいますが、私はそうは思わない。
結果的に子孫を残すのは男女とも同じなのに生殖に関する負担が余りにも違い過ぎます。
もっと納得いかないのは妊娠出産を「めでたい、祝福すべきこと」だとされていることです。
先にも述べたように妊娠出産は命がけ、もし助かっても後遺症などで苦しむ可能性もある。
にも関わらずめでたいことだとされるのは「新しい命が生まれてくる」から。
それはつまり女性の命を犠牲にしてでも子孫を残すことが良しとされているということ。
つまり女の命<<<<男の命・新しい命、というわけです。
男はこの理不尽さに対して何の疑問も持たず、「当たり前」だと思っています。
多くの女も「仕方ない」と思っています。
そして少子化も女だけのせいにされ、今や「女は家庭に入るべき」という意見も多くなってきました。
もうこんな理不尽な世の中嫌です。
消えたい。
絶望でいっぱいです。
自分に子宮がついていて筋力が男より劣る生き物だというのが嫌で嫌でたまりません。
母は男に強姦されて私を生みました。 中絶は金銭面の問題で出来なかったようです。 母は分娩中「嫌!生みたくない!」と叫んでいたと立ち会った親戚が笑いながら話していました。 十月十日も生活を制限され、ホルモンバランスは狂い性格も変貌し、キャリアも泣く泣く諦めなくてはならず、激痛の中命がけで分娩、ボロボロの身体で寝る暇すらなく子育て、歪んだ骨盤は元には戻らず、一番綺麗な時期を好きなことも出来ないまま子どもを生む道具にされる。 出産は拷問です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
頭の中で初めの一歩目を踏み出す前の静寂美に安住されたし✨
①(*_ _)…ああムリだ、だめだ、俺じゃ絶対だめだ…。
だめだ。どうせ、何を言っても元山本さんには受け止めてもらえないに決まっている。そうに違いない。どうせ何いっても聞く耳もってもらえないに違いない。
無理だって。だって、俺、男だし。この人、なんか女性であることに嫌気さしてるみたいだし、男の私が何言っても多分無理だわ…。
(…と、初めの状態・本来の状態から、なんも始まっていない時点から思考の踏み出し「初めの一歩」を踏み出しているとします。)
②(*_ _)「元山本…」。旧姓が山本さんなのか、それとも「山本山」みたいに上から呼んでも下から読んでも山本山みたいな「元山本」なのか…。
(…と、本当の意味を知らずに頭で勝手に「こうだ・こうに違いない」と思い込んで思考の「初めの一歩」を踏み出している状態。)
③海苔のCMで「上から呼んでも山本山、下から呼んでも山本山」ってあったけど、平仮名で読むと「やまもとやま」だから「まやともまや」じゃん、って突っ込んじゃう嫌な小学生だったっけなぁ、俺。
(最初から「そう」あることを「そうじゃない」違う観点から眺めて、本来の静寂美の状態から思考で「初めの一歩を踏み出して」アタマの世界に行っちゃっている状態。)
…以上を踏まえて、あらためまして、上から呼んでも下から呼んでも「元山本」さんこんにちは。わたくしも、上から呼んでも下から呼んでも「丹下リモコンてんこ盛り源太」ともうします。
回答になっていないかもしれませんが「ことをみるにあたり、おのれが私見をやむべし。」これが私からの回答です。
お茶って、湯呑を持つ前って、波が立ってないんです。
鐘って、鳴らさない時って、音が鳴ってないんです。
心ってあれこれ思う前って、スンゲー静かなんです。
アタマって、思考の踏み出しを進める前があるんです。
はじめの一歩を踏み出した時点で、その本来の静寂さが失われているんです。
【物事も人間も一秒ごとに本来の静寂美を全うしリニューアルしている】のです。
これをニルバーナといいます。涅槃。
あなたはあなたの女性としての涅槃・静寂美を見失っているのではないでしょうか。
「あ~女に生まれてよかった♨」と思える為にも自分の❝女性性❞を、思考の一歩を踏み出してDISらんことが大事です。
そして、あなたはこう言う。「でも…」☜ほら、そこが思考の踏み出しの始まり。
おっしゃるとおりかと思います
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃる通り社会的にも女性の負担が非常に多いと思います。それはやはり女性に対する未だ残る差別があるからだと思います。
今でも社会の中で女性だからという理由で多くの方がいわれなき差別を受けていると思います。
それは事実としてこれから私も皆さんも性的な差別を無くしていこうと心掛けて行動していく事は大切かと思います。
道のりはまだ長いでしょうか、一日でも早くそのような男女差別はなくしていく事が必要です。
子供を産むことについては確かに女性の負担は肉体的にも精神的にも大きいですよね。
自らの生命をかけて子供を体内で育てて大変な痛みと苦しみの中で出産をするのですから本当に大変な事と思います。恐らく男性の私達には想像を絶するかと思います。
その大変な苦痛の中で生命が誕生してくることに対して、まして私達はそのように生まれてきた事に対して深い感謝の念を持ちます。本当に有難きことです。この世に生を享けたことに本当に有難いと思います。
想像ですがやはり子供を出産した暁には例えようのない喜びが母親の心には宿るのではないかと思います。父親の大変喜びを得るでしょうがそれと比較にならない出産の悦びもあるのではないかと思います。恐らくそれも個人差があるとは思いますが自らの力で子供を産むことは何物にも代えがたい大きな経験となるのではないかとも思います。
女性として生まれて出産を経験する人しない人はいます。望んでも子供に恵まれずに苦しんでいる方深い悲しみにある方もいらっしゃることでしょう。
それはそれぞれに与えられためぐり合わせですから非力な私達ではどうすることもできません。
その様な辛い思いを抱えて生きている方もおられると思います。
人はどんな方も悩みの無い方はおられません。誰しもが望むものが得られない苦しみや思い通りにならない苦しみを抱えて生きています。
そのまま在り様を受け入れていく事が私達が健やかに幸せに生きていく為の条件でもあると思います。
生きていく事は常に四苦八苦を抱えています。それでもその事実を受け入れながら共に生きる皆さんと喜びも悲しみも分かち合いながら正しい道を歩んでいく事が本当に平等の道かと思います。
あなたがこれからも皆様共に心から豊かに思いやりながら幸せな毎日をお送り頂きます様心からご祈念申し上げます。
極楽浄土に往生すれば全員男性
来世で、阿弥陀仏の造られた極楽浄土に生まれかわる(往生する)ことができれば、男性になれます。
極楽浄土には女性はいないからです。
極楽浄土に生まれる菩薩達の生まれ方は、蓮の華から出現するように生まれるのです。
したがって、極楽浄土には女性(出産を担当する者)がいないのです。
まぁ、女性がいないなら男性という呼び名も無いかもしれませんね。
極楽浄土に往生する方法は、口で南無阿弥陀仏と念仏をとなえて、南無阿弥陀仏で間違いなく往生できると思うだけでよいので、簡単ですね。
ところで、人間ではなくカマキリの場合は、オスが犠牲になるみたいです。
カマキリは、交尾のあと、メスがオスを食べてしまうらしいです。(必ずではないかも知れませんが。)
生物って不思議で多様性がありますね。
いずれにせよ、怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になります。
女性であることについて怒っても、悩み苦しみストレスが増えるだけ。
怒りを手放し、あるがままの現実の中で、しなやかに、軽やかに、生きて生きましょう!
で、来世は極楽浄土へ。
南無阿弥陀仏。