hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

核ミサイルの恐怖

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

同じような質問をするのは3度目です

質問というよりはただ安心するような言葉をかけて欲しいだけです。このような使い方をして本当に申し訳ないです

情勢が少し変わるたびに怖がっています。どう予想しても戦争に日本が巻き込まれる想像しかできません。怖くなったり怖くなくなったらを繰り返して、怖くなるとこのサイトに頼ってしまいます

質問になってなくてすいません

何か御言葉があればかけていただけるとありがたいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ミサイル、直接、当たってケガをしたかい?

🐼
こんにちは。ノドン、テポドン、ハルマゲドンより、牛丼、うな丼、中華丼大好き「丼下覚元」と申します。
一句浮かびましたわ。
「テポドンも 当たらなければ 大丈夫🚀」
今、日本中で「ミサイルが飛んでくるんじゃないかな心配だ症候群(そのまんまかい)」にかかっている人が沢山います。
先の事をおびえる、最悪の事態を想定して不安になる。思いを相手に悩むのです。
結論は、いずれにせよ「まだ そうなっていない」ということが一番の確かさではないでしょうか。
そこに目を向けてみましょう。
すると、さっきまで不安に思っていたところ👻は、頭の中の思いの世界に過ぎなかったということがハッキリするはずです。
思春期ネタで申し上げますと、学生時代に私は、好きな女の子に連絡したい、連絡したら変に思われるんじゃないだろうか、嫌われるんじゃないだろうか、フラれるだろうか、返事来るだろうかとか、先の事を不安に思っていたものです。
実際は、結果が来るまで答えはないのです。
あ、私の場合、予想が当たって撃沈でしたが。
ですが、こうして今日も生きています。
最悪の事態を想定して悩むより、いざ、最悪の事態になってみた時「その後どうするか」しかないのです。
だから、安心してください。
今日も飛んできませんでした。
死ぬんじゃないか、死ぬんじゃないかと、恐れながら暗く生きるよりは、
死んでも大丈夫と思えるようになることが大事です。
私もあなたくらいの時に「死ぬのが怖くならないようにナリタヒ」と思ったものです。
自転車で砂利がたまったところを猛スピードで走行したとき、転びそうになって「死ぬんじゃないか」と思いました。転びましたが、死んでいませんでした。ただ、その出来事があるだけでした。スローモーションで解説しますと、あー、こけるゥゥゥ、あー…、あー…

あー…

ぐわー…

ズデーン🚵

あー…

いてー…

あー…

…で、死んでいなかったのです。

つまり私は死ぬんじゃないかという自分の思いの方に恐怖していたということを悟ったのです。ここスンゲー大事。120回読んで♡

🐼一句、うかびましたわ。
人間は、しぬぅ、死ぬぅ、というけれど、それが動くは自分のアタマ。
人間の、どくん、どくん、というお命は、死ぬぅ、というても死ねぬものにて。

死ぬのが怖くなりたくなかったら禅寺の門をたたくことです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

現実的な恐怖ではない

北朝鮮が日本やアメリカに実際にミサイルを撃つことは、まず無いと思います。
撃ったら最後。
北朝鮮は破滅に追い込まれるでしょう。

それに、日本にはたくさんの在日北朝鮮人が暮らしています。
日本にミサイルを撃ったら在日朝鮮人まで犠牲になります。
いくら北朝鮮でも、そんな愚かなことをするとは思えません。

だから大丈夫。
ミサイルは飛んで来ませんよ。
大丈夫。
私も想像すれば怖いです。
あなた独りではありません。
一緒に恐怖から抜け出しましょう。

誰でも、色んなことを想像したら、想像に対して恐怖や怒りの感情が刺激されます。
だから、あまり現実的ではない想像にふけらない方が良いのです。
思考が想像に飛んでいったときには、速やかに「あ、これは妄想雑念だ」と気付くようにしてください。

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の念仏を
「なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ」
とひたすら口ずさんでみてください。
念仏を口ずさんでいる間にも、妄想雑念は浮かんできます。
でも、すぐに意識を「なむあみだぶなむあみだぶ」に戻すのです。
妄想雑念は浮かんでもいいのですが、自分で自由自在に妄想雑念から抜け出せることを実験してみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

煩悩スッキリコラムまとめ