亡き母に伝えたい
この夏に母を亡くして心を痛めています。
私が旅行に出た日、預けた施設で急死しました。伝えたいことを何も伝えられず、最後はバタバタの状態で別れました。
母は
「◯◯ちゃんがいなかったら、ママなんか生きていけないんだよ」
と亡くなる前日のトイレ介護のときに何気に言っていました。
私は笑って聞いてましたが、まさか本当に亡くなるなんて。。。
母にいろんなこと謝罪したい、
それに産んでくれて、育ててくれてありがとうと言いたい。
もう、霊能者さんに母のことを聞くか、
自分が霊能者になるか、
それしか方法がないと思っています。
霊能者さんとは本当にいるのでしょうか?
どうやって母に伝えたらよいでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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出遇う
お母様のご命終に謹んで哀悼の意を表します。南無阿弥陀仏
旅行に出て施設にあずけた日の急死というお母様の最後の迎え方に、大きな後悔と悲しみをお持ちなのでしょうか。
しかし人の一生というものは最後の瞬間だけがそれではありません。お母様は生まれて死ぬまでの間に様々な出会いがあったことでしょう。ご主人やご友人や色んな出来事、色んな感情…そしてyae様。そのすべてがお母様の人生です。最後の瞬間だけに集約してせっかくのお母様の人生を悲観的に捉えてしまってはいないでしょうか。
生きている時には中々言葉にできない様々な想いがyae様にはあることでしょう。
「産んでくれて、育ててくれてありがとう」
たとえ言葉にできていなかったとしても、yae様にその思いがあったならば、yae様との時間を通してお母様はお感じになっていたのではないでしょうか。
さて、一点どうしても認めないといけない事実があります。
それは亡き人とはもう生前と同じようには会ったり会話したりすることはできないということです。
霊能者がいるかどうかはわかりませんが、たとえいたとしてもそれは生前と同じようにはいきませんし、伝わっているのか確認することはできません。
亡くなったお母様がどうしているのか、どこにいるのか、それは誰にもわかりません。しかし今もこうしてお母様のことをお考えになるように、yae様の心にお母様がはたらいていらっしゃることは事実です。
これからはyae様の心を通してお母様に出遇うのです。「出会い」と「出遇い」の違いです。
「会う」とは、会うことを約束して会うということ
「遇う」とは、こちらの思いを超えてはからずも会うということ
生前と同じように、こちらの思いのままに出会うことはできませんが、これからもお母様に出遇う瞬間があると思います。
それはお母様の心、願いに触れるという出遇いです。
お母様が大事にしていた事をyae様が大事にする時、お仏壇やお墓で手を合わせて語りかける時、ふとした時にお母様の思いや願いにyae様が包まれることがあることでしょう。
亡き人を大事にするとは、亡き人が大事にしていた事を残された私たちが大事にすることと私は教わりました。
そうした中で亡き人との出遇いを賜るのです。
これからもお母様を大事にし、語りかけてください。
合掌
質問者からのお礼
吉武文法様
ご回答ありがとうございます。
そうだな、そうだな、としみじみする思いで拝読致しました。
まだまだ淋しさ、悔しさ、たくさんあり、諦めきれない思いを抱えていますが、
時間がかかっても、文法様の言葉がきっと身にしみてわかる日がくると思います。
ご丁寧なご回答、心より感謝申し上げます。