後悔、自責の念への救いとは
目にとめてくださりありがとうございます。
3度目の相談です。
以前2度の相談もお読みいただけると幸いです。前回の相談と重複する形になることをご容赦ください。何度も申し訳ございません。
一方的に突き放してしまった人が亡くなって一年以上経ち、毎日毎日思い出しています。後悔して後悔して、そのたびに、過去は変えられないと落胆して。その繰り返しです。
「会いたい」「生きる力がほしい」と自分を必要としてくれた人を見放してしまった。逃げてしまった。私はあまりにも傲慢で、死と病気に余りに鈍感でした。 なぜ彼が死んで、こんな自分が生きているのか。
彼と行った場所を遠ざけ、旅先がテレビに映ったりすると目をそらし、そんな日々です。直視できないものが多くて、避けて逃げて生きていくのかと思うと、自業自得なのですが、行止まりにずっと立っているようです。
日常生活は普通にしていますが、心がどうしても引き戻されてしまいます。リアル至上主義、そのように割り切れればいいのですが、なかなか叶いません。
彼の仏前に手を合わせることはできないので、心でいつも謝ってばかりいます。そのままだと動けなくなるので、酷いことをした私には嘆く資格もない、悲しむ権利もない。思われても不快なだけだろうと、今はそうやって考えないようにして感情の起伏を凌いでいます。
後悔と罪悪感をどのように処理して生きればいいのでしょうか。
自責の念、こんな人間への救いなどあるのか。
大切にしてくれた人を大切にしなかった、恩を仇で返してしまった。
何かに、罰せられるでしょうか。
彼に尽くすことが、もう叶わないことへの救いとは何でしょうか。
自業自得、甘ったれている相談であることは自覚していますが、何か言葉を頂けないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからも
拝読させて頂きました。
あなたの自責の念や後悔の念を読ませて頂きました。
あなた自身がそう思い苦しんでおられるのですね。
彼は既に仏様の元で心安らかになられています。そして一切の苦しみから離れて安心して心円満にご成仏なさっておられることでしょう。
ですからもやは負の感情である恨んだり憎んだりする心はありません、当然あなたを恨んだり憎んだりもしてはいません。
ただただあなたを思いやり見守っておられるのです。
どうか安心なさってください。
そしてこれからも彼を思い心から手を合わせてご供養なさって下さいね。
あなたのその真心は必ず彼に届きます。彼はあなたのその思いを素直に受け止めてくださる事しょう。
どうか安心して彼にお向き合いなさって下さい。
その思いを糧にどうかこれからのあなたの人生にお向き合いなさって下さいね。
いつ如何なる時も彼はあなたを支え見守っていて下さいます。
そしてこれからもあなたを応援してくださいます。
あなたはこれからの人生を真摯に誠実にお向き合いなさり、正しく生きて下さいね。
あなたが素直に正しく生き抜いてくださる事を彼はきっと喜んでくださいます。
そしていつの日かあなたがその生命を全うする時必ず仏様のお導きを受けて彼に再会なさることでしょう。
どうかその時に打ち解けて様々に語り合うことができます様にこれから一生懸命に生き抜いて下さいね。
彼とあなたはこれからもずっとご縁がつながり、あなたを応援してくださいますからね。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma 様
お言葉、ありがとうございます。
初めて質問をしたとき(彼が亡くなったことを知って間がないころでした)も、ご回答くださいました。
再度目にとめてくださったこと、心から感謝します。
彼から逃げるようにしてしまってから、どういう日々を生きていたのだろうと思うと、胸が潰れそうになります。最後の、すがるような彼からのメールを思い返して、死にたくなります。
彼に対しては、もうどうすることもできない。過去には戻れない。
死にたい死んで詫びたいと落ち込む日がまだまだあります。
もう新たな後悔をしないように、仰るように、真摯に誠実に正しく生きていくこと、大切な人に接していくこと。
彼を思い心から手を合わせること。頑張ってみます。
また苦しくなったら、どうぞ話を聞いてください。