憧れている人と全く同じように生きたいと思う
閲覧ありがとうございます。
私には性格、スペック共に憧れ、尊敬していて、その人みたいになりたいと思うような人がいます。
将来の夢もその人の職業で、その人のような生き方をしたいのですが、そうやって憧れている人と何もかも同じように生きていくことは、他人の人生を生きることになってしまいますか?
死ぬ間際見返して、自分の人生ってスカスカだったな…と思うことになってしまいますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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真似
若いうちはそうして他人の良いところをドンドン吸収していった方が良いです。お坊さん達も尊敬できる師匠と出会えたらヒモの結び方や服のメーカーまで真似するような時期があります。
それでも「お坊さんはお釈迦さまの人生を真似してるだけで、スカスカだな」と言う人を見たことはありません。逆に誰も尊敬したことが無いという人の方がスカスカに見られるものです。他人の良さを見出すことが出来ない人・他人の悪い所にしか目を付けられない人ということですから。
それにどんなに他人の真似をしようとしても、いずれ自分が物事に当たる時になれば、同じようにしたくても状況が違うから同じようには出来ず、おのずと違ってくるものです。それでも無理矢理同じようにしようとするのは盲目的であり、『やり過ぎ』ですけどね。
若いうちはよく真似し、一人前になれば独り立ちしましょう。真似することは真似ぶこと、学ぶの語源です。
ただ、尊敬は時に盲目で危険になることがあります。昔、オウム真理教という無差別大量殺人事件を起こしたカルトがあったのですが、その信者達は不幸にも、尊敬し真似する相手を誤ってしまいました。
尊敬できる人と出会える…それは素晴らしいことですが、『あの人と違う人は間違っている!』『この世界で正しいのはあの人とその賛同者だけだ!』そう感じ始めたら危険信号です。絶対に尊敬することと排他的になることをイコールにしてはいけません。
よりたくさんの人、色とりどりな人の良いところを見出し、より多くの人を尊敬できる人が増えれば、きっと世界は平和になるでしょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。真似した方がいいことに安心しました。
また、排他的にならないように、とのことですが、実際に、あるものが好きすぎてほかの物を否定したり、貶める人を見たことがあるのでわきまえているつもりです。(その否定されたものは私の好きなものだったので、余計に)
行き過ぎにならないように気を付けながら、その尊敬する人を追いかけていこうと思います。