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人の10倍怒られます

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他人より怒られる事が多いです。
他人は許されることも、わたしは絶対許して貰えません。
例えば、とても感じの悪い応対をする病院の受付さんがいるのですが、同じ病院受付のわたしが彼女のような応対なら、即座にクレームがバンバン来て、院長からクビを申し渡されるでしょう。
なので、毎日顔が痛くなるくらい笑顔で、高級旅館の女将くらいの応対をしていても、ちょっと油断すると顔が変だのメイクが濃いだのとどうでもいい言いがかりクレームから、対応が悪いクレームまでバンバン来て、先日院長から説教を喰らいました。
ある日若い女の子に、「お客様にお茶出してくれる?」とお願いしたら、彼女はほうじ茶を出しました。
別の会社にいた頃のわたしは、似たような事をした時、パートのババアからネチネチネチネチイヤミや、遠回しにイヤミを言われたりしてそりゃあ嫌な思いをしました。
が、「若い子はお客様にお煎茶出さなきゃいけないことを知らないのか〜、今度はお煎茶出してねとお願いしなきゃなぁ」と思った時、「彼女はわたしが受けたイヤミ攻撃や怒られたりしないのか!…いいな」と悲しくなりました。
阿川佐和子の父親のような理不尽すぎる親の元で、怒られたり殴られたりしない日はなかった日々を過ごしたわたしは、ちょっとでも怒られるのがとても嫌で嫌で、どうしてわたしばかり怒られるの?もう少し優しく言ってよ!わたしはそんな言い方しないのに!そんなことまでいちいち言わないでよ!といつも思います。

どうしてわたしばかり怒られるのでしょうか?
どうして怒られない人と怒られるわたしがいるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

必要以上は自分も他人も望んでない。

はるかさん、はじめまして。
女子プロレスラーでお坊さん、カウンセラー見習いの雫有希です。

お気持ちよくわかります。お辛いですよね。
実は私も二年前まで同じ状況でした。それでカウンセリングいき先生から様々なアドバイスを頂き、それを実践して打開しました。
ですので私の例でよければ、ぜひ参考にしてください。

はるかさんの「顔が痛くなるほど笑顔を作る」「旅館の女将並みの対応」こそ人の注意やお叱りを引き付けてしまってませんか?
いつもあんなに笑顔なのになんで今日は違うのよ!!みたいな。
自分の価値を信じましょう。

話を例えます。
知り合いと握手をするのと芸能人と握手するのでは同じ握手なのにわくわく感が違いますよね?
なぜ?
知り合いは会おうと思えば会えるかもしれないけど、会えるどころか、芸能人は手の届かないところにいる。もしかしたら握手なんてする機会すらないかもしれない。芸能人はなりふり構わず、握手をみんなとしないのです。だから芸能人の握手には価値を見出したし人は価値を感じたりするのです。
(こうやって芸能人は仕事を成立させてます。)

はるかさんの笑顔と対応に置き換えたらどうでしょうか?
知らないうちに自分の笑顔と対応の価値を落としていたかも。

いつも握手してくれる知人が握手をしなかったら違和感を感じる。
芸能人が握手をしてくれたら超感謝して、超嬉しい。
当たり前にありがたみを感じることができない、人間の反省点です。
しかしそこを相手に今反省しろと言っても何も変わりません。
必要以上に相手を受け入れる求めることをするのをやめてみてはいかがでしょうか?
聞く耳を持たない意味ではありません。

常に全力は誰でも疲れます。
言われたことだけを素直に行動する。
もし注意されたことに納得がいないことがあれば謝った後に何が悪かったかゆっくり時間をかけて考えればいいだけ。

ちなみに私数年前までプロレスファンの間で言われていた誹謗中傷に頭を下げ続ければ状況はよくなると信じてましたが状況は悪化の一方。
しかし上記のことを実践したら今はほとんどありません。

最後に、はるかさん、あなたも天真爛漫に生きていいんです。悩みに目を向けれたことは素晴らしいことです。これを機に自分自身の心に向き合っていってください。何かあればまたいつでも相談してください。

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雫有希(占い専門僧侶)
占い師、タロット講師、心理カウンセラー、女子プロレスラーの顔を持つ浄土宗の...
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極端な思考は自分を苦しめるだけ

あなたばかりというわけではないかもしれませんよ。
人のことは分からないものです。怒られる姿は、多く人がいる前ではあまり見られないでしょう。
こっそりと注意を受けるのです。それをいちいち人に言う人もいないでしょうし、あなたばかりという考えは、ちょっと極端な感じがします。

人と比べてどうとか、注意を受けた時にそれを、ご自分自身を否定されたように感じたりするから嫌に感じるのでしょう。確かに好んで怒られたいということはないかもしれませんが、怒られる(注意を受ける、叱られる)ということはその行動について言われていると考え、「罪を憎んで人を憎まず」ではないですが、ご自分を否定されているとはとらえてはいけないと思います。

言われたことを曲げて捉えず素直に聞いていたらそんなに嫌ではないのではないでしょうか。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

円通寺邦元さまありがとうございました。
「わたしばかり」というのは、
雑談で友人と
「わたしがあの店員みたいな対応したらすぐクレームだけどね」
とか
「わたしこういうことで怒られたから注意してるんだ」
と言った時に
「そんなことで怒られるの?」
とびっくりされるからです。
いじめられてたんじゃないの?とも。
いじめられていた自覚はありますね。だから、世の中には何をやっても怒られるわたしと、何をしても怒られず、むしろ褒められて褒められて苦労なくわたしの欲しいものを当然といった感じで楽々手に入れている人がいるのだなと感じたわけです。
また、怒る人はだいたい人格否定から入ります。
「だからダメなんだ」とか非常に抽象的な話し方をし、そのくせ「あいつは話のわからない通じないやつだ」と言われ、それがあっという間にあちこちに広まるのです。
仕事をしていても「もう少しこうやって」と逐一色々言われます。言われるのが凄く嫌なので、これなら文句付けようないだろうというやり方でやると、もうその仕事は来ません。
けれど、他の人がその仕事をやると、わたしが注意受けたことは全部やるし、全然頑張っていないのに何の注意も受けず、その仕事はその人のものになります。
本当に理不尽過ぎます。

雫有希さまありがとうございました。
こういう理不尽はわたしだけだと思っていましたのでびっくりしました。
(経歴にもびっくりしました。僧侶の方も色々な職歴があるのですね)。
全力でやらないと怒られるのでいつも全力で、休日は何も出来ません。
でも少し出力下げて行きたいと思います。

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