会うべきだったなと後悔しています
先日、私の親戚が病気で亡くなりました。
ちょっと離れた所にいる親戚です。
もう手遅れの状態で病気が見つかり、治ることなく亡くなってしまいました。
私はその親戚に2、3年ほど会っておらず、病気になったと聞いてからも、受験生だから無理して来なくてもいいよと祖父母に言われ、私以外の家族は皆会いに行きましたが、私は会いに行くことはありませんでした。
その時は心のどこかでちょっと気になっていました。
小さい頃よく遊んでもらったし、きっと親戚の中では一番お世話になった方だと思います。
しかし、通夜と葬式の時に私は本当に酷く後悔しました。
葬式をする場所にはたくさんの写真が飾られ、どの写真にもなつかしい笑顔がありました。
それからご遺体を見た瞬間に涙が止まらなくなりました。
亡くなってしまったことを直接感じたことで悲しくなったというのもありますが、私の中で一番大きかったのは、
何故会いにいかなかったのだろう。
という後悔です。
ご遺体の顔は少し微笑んでいる気がしました。
その顔を見ると、その人の声や、笑った時の顔を思い出し、最後に会ってもう1回お話したかった。笑顔を見たかったと後悔しました。
今でも後悔しかありません。
死後の世界で会えるなんてことも信じられません。
この後悔は無くならない気がします。
どうやって向き合えばいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
読経供養を。
ピコさん、こんにちは。
お世話になった親戚の方に生前のお別れができなかったのですね。
死とは悲しい別れです。人は必ず別れをしなければならない時がきます。仏教ではその苦しみを『愛別離苦』といいます。ピコさんが会おうが会わまいが必ず死の別れは訪れるし、例え会ったとしても別れの苦しみは起こるのです。
今、生きているmilkeyさんが、親戚の方の思いになる最高の供養は、あなたが立派な社会人になることです。そして親戚の方の優しさを忘れないように、読経供養をしてあげてください。お墓でも仏壇でもかまいません。お彼岸お盆にお参りして、「元気で一所懸命生きています」と自分の姿を見せてあげてください。それは必ず霊界の親戚の方に繋がるものです。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
とても救われた気持ちになりました。
親戚の最後の写真をこの前見ることができました。
最後の最後まで笑顔でした。
やはり悲しさはあり、お礼もきちんと言いたかったという思いはあるのですが、お坊さんの言う通り、お墓参りに行って私の成長した姿を見せたいと思います。そして感謝の気持ちをちゃんと伝えようと思います。
本当にありがとうございました。