想い
「一人ひとりのいのち」
最近、盲目のお一人、車椅子をお使いになられるお一人、寄り添いながらご家族が支えられてる光景を観る機会があります。
その光景を観ながら言葉にならないことを感じます。
盲目の方は杖を突かれながらコンビニエンスストアへお一人で入られた方、ご両親がご家族がお使いになられてる車椅子を支えられてるお姿。
お一人おひとりは人生について、どのようなことを思う想いを馳せていらっしゃるのでしょうか。
人には嬉しいことや楽しさ、不安や辛いことが人生のなかでありますが私自身にも今からの人生や不安が無いと云うと嘘になります。
人には伝えられること、伝えられないことがあります。
変わらないのは「一人ひとりのいのち」があります。
このところ感じたり思いを寄せることが増えています。
私自身が健康に壁に向き合い、友人との別れ、見栄の為に嘘をついたこともありました。
嬉しく楽しい時間もありましたが、反面なぜこのような事をしたのか自責の念を感じます。
自ら蒔いた種でもあります。
そのような事があり、じゃないですね。
自ら蒔いた種で不安や寂しさもありますが、何事にも変えがたい学びは「一人ひとりのいのちは限りがあること」
言葉にならなくても高望みしなく、いま私に出来ることを目指して。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんばんは。
そうですね。金子みすゞさんの詩にも「みんなちがってみんないい」という一節がありますね。
体のどこかが不自由な方をご覧になって、「かわいそうだ」という気持ちにはなっていないだろうか?一度あなたの心の中を点検してください。もしそのような気持ちがあったら、それは自分と誰かを比べる事になり、あなた自身を幸せにしません。相手の方にも失礼です。
今できることを行うというのは良い心がけですね。命を大切に。ひとつひとつ具体的に。
質問者からのお礼
お言葉有り難うございます。
私は光景を拝見しながら「一人の人として今を生きていらっしゃる」ことを感じます。
今、出来ることは例えば気候の話でも良いかと思います。最近は急に寒くなってきたんで体調お気をつけて下さいね。と声をかけると思います。
そこでお互いの気持ちのなかで「気にかけって下さった」という気持ち、大事してゆきたいです。