聖地巡礼に行ってきます
本日インドネパールの仏教聖地に向けて出発いたします。
色々とご相談に乗って頂いた皆様ありがとうございます。
大乗や上座部を問わず仏教でいえば、功徳の回向というのがあるそうですね。
インドネパールをめぐるのは縁で功徳があるとしたら、それは全ての生命に対して回向致します。
全ては過ぎ去る、執着することなく刈り取ることになる種をまき、手放しながら今を一歩一歩しっかり生きる。それを死ぬまで続けていけばあとは何も必要ない。
皆様の回答を見て上のようなこと何かなと思いました。
後は実行あるのみ。
原始のブッディズムに非常に興味があります。 大乗仏教の教えの中にもブッダの言葉があるのかもと思い探しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
行ってらっしゃい
旅の無事を祈り申し上げます。
仏跡、聖地にてどんな出会いがあり、どんなものを感じとれるかは、人それぞれだと思います。過大な期待をせず、過小な評価もせず、ただただありのままに受けとめてみましょう。良き旅になりますことを念じております。
気を付けて行ってらして下さいね
拝読させて頂きました。
あなたにとって素晴らしいご仏縁にめぐり合いあなたの人生に大きな恵みとなりますようにと心よりご祈念申し上げます。合掌
どうぞ体調に気を付けて決して無理をなさらないように行ってらして下さいね。
あと盗難などに気を付けて下さいね。
再度拝読させて頂きました。
あなたにとって素晴らしい出会いや気づきのたびにだったのですね。
あなたの人生の旅はまだ始まったばかりです。
これからも素晴らしいご仏縁に恵まれますようにと心から仏様にお祈りさせて頂きますね。合掌
質問者からのお礼
どうもこんばんは。
本日無事に仏跡巡りから帰ってきました。
廻った仏教遺跡は、サールナート、ブッダガヤ、前正覚山、霊鷲山、ラジギール、ナーランダ、ヴェーサーリー、ルンビニ、クシナーラーなどです。
特にブッダガヤには約10日ほど滞在し、毎日2回程度マハーボディテンプルに行きました。
マハーボディテンプルの本堂でパーリ語の経典を読経していると、私は特に坊さんでもなく、格好も普通の一般人のはずなのに、何人もの熱心な信者に接足作礼をされたのは驚きました。
後で現地のガイドや日本にいるあるお坊さんに聞くと、熱心にパーリ語で読経していたので、自分の分も祈って欲しいとか、パーリ語での読経への畏敬の念ではないのか、という回答を頂きました。
ただ、その熱心な信者さんたちとは話をしていないので真相は分からずじまいです。
またワーラーナシーの火葬場を4回ほど見学し、人の末路を見ました。
そこで、大きな間違いに気が付きました。
旅に行く前はどういう風に生きて行けば良いかという、”どうやって生きていくか”に重点を置いておりましたが、
実はそれが間違いで、先ずは ”生きるとは何か” が先にある。
そしてこれが非常に重要な事であり、この ”生きるとは何か” と、その重要性を理解していなければ、”どうやって生きていくか” はブレてしまうものだと気づきました。
マハーボディテンプルで気持ちよく寝ている沢山の犬、大菩提樹から落ちる葉、幽閉されたビンビサーラ王、焼かれていく遺体、全て ”生きるとは” をよく表していて、でも自分は”生き方” はおろか、”生きるとは”もその重要性も分かっていなかった。
煩悩がとか、割愛がとか執着がとか、それ以前に、無知無明の類だったことに気が付かされました。
とても良い旅でした。
皆様、ありがとうございました。