何のためにいきているのか?
休日の朝起きると、私は何のために生きているのかと考えますがわかりません。仕事の時は、時間に追われ考えません。ただ目的もなく、今は生きているように思います。このまま、死ぬまで同じでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何のためでしょうね?
人間は、誰しもが何か目的を持って生まれてくるわけではありません。
だから、ご自身で人生の意味、目的を見出し、自分にプレゼントしてあげるものだと思います。そのまま死ぬのかそうでないのかは、あなたが頂戴しているその命に向き合う姿勢次第だと言っていいでしょう。
しかしながら、あなたは時間に追われててそんなことを考えられなくなるほど忙しく仕事をしていらっしゃるとのことなので、少なくとも他人様、世間様のお役に立てているんだと、堂々と胸を張っても良いのではと拝察します。もしも仮に、死ぬが死ぬまで何かロジックで理解でなかったとしても、あなたの存在が尊いことに変わりはありません。
ただ、そこにあなたが人生を賭けられる程の目的を発見し、ご自身にプレゼントできた日には、あなたの人生は銅から銀、銀から金へと変わります。
まずは、ぜひその疑問を大切に温めてください。
死にたくないから生きている
生き物はみんな、死にたくないから生きています。
死にそうになったら苦しいので、苦しみから逃れるように対処したくなります。
そうすると、結果的に命が延びることになります。
息を止めてみてください。
苦しいから息をしたくなります。
息をしたら生きのびてしまいます。
苦しみが生じる。苦しみに対処する。生き延びる。
その繰り返しです。
生きものとは、そういうものです。
死ぬ瞬間には、「もっと生きていたい」という苦しみが生じます。
そうすると、輪廻転生して生まれかわってしまいます。
輪廻転生から解脱したい、生きものであることから卒業したい、という場合は、
煩悩を完全になくして、「もっと生きていたい」という苦しみが微塵も生じない心になる必要があります。
あらゆる執着をなくすのです。
いわゆる「成仏する」というやつです。
そのためには、仏教を学び、仏教の修行をする以外に方法はありません。
仏教を学んでみてください。
いつか、生きることから卒業できればよいですね。