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苦しいです

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有り難し有り難し 22

前回は、お礼も書かずに申し訳ありませんでした。あれから少し気持ちが軽くなり、自分のペースでいいのかなと思えるようになっていました。本当にありがとうございました。

 しかし最近、今月で始めて半年になるアルバイトが辛くなってきてしまいました。ここ数ヵ月で、今まで一緒にやってきた先輩方がほとんど辞めてしまい、周りがほとんど皆新人さんという状態になってしまいました。

 そんな中で、私の要領の悪さや仕事のできなさばかりが目立ち、これまで楽しんでいた接客やお客さんとの会話も楽しめなくなり、毎回心が苦しくなります。さらに、ミスも日に日に多くなり、余裕もなにもなく、私よりも仕事のできる新人さんが増え、さっさと辞めたほうがお店のためとも考えています。

 しかし、家も余裕があるわけではないので、私の身の回りでかかるお金はできるかぎり自分で負担したいですし、なにより私よりも苦労している両親を見ていると、こんなことで辞められないとも思います。それに、こんなことではこれから先就職できるか、できたとしても続かないのではと考えてしまい、また生きていたくないと考える負の悪循環が始まってしまうのです。他にも悩みがあるのも原因だとは思うのですが…。

 もう、どうしようもない人間だと思います。恥ずかしいです。甘えと言われれば甘えだとも思います。長文で分かりにくく申し訳ありませんでした。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

捉え方だけ変えてみよう

あなたを不幸にしているものがあります。
それは「物事を悪く考える」という思いです。
いわゆるネガティブです。
物事を悪く考えるとはどういうことか。
ラーメンに喩えますと、二つのうち、悪い麺ばかり見るという事です。
悪く考える人
太麺?出てくるまで時間かかるし…重たくて手痛くなるし、
細麺?すぐ伸びるじゃん。
ちじれ麺?おつゆハネるし。
普通麺?食べ飽きたし。
カップ麺?保存料、添加物まみれじゃん。
イケメン?どうせ、他に女いるし。
良く考える人
太麺?コシがあってイイよね。
細麺?食べやすいよね。
ちじれ麺?スープに良く絡むよね。
普通麺?やっぱ普通が一番だよね。
カップ麺?保存きくよねー。
イケメン?キャー♡一緒に食べよー♡
いかがでしょう。後者の方が人生楽しんでいます。
麺は、同じ麺なのです。
その事実に、元々よいわるいはついていないのです。
「どんなものごとにも良い麺と悪い麺があるのです!!」
じゃなかった、
「どんな物事にも、良い面と悪い面があるのです!!!」
この一言を言いたいが為に、わざわざ麺のたとえを用いたのです。偉いでしょう!?
分かりやすいでしょう?それでも、あなたは私にこういうのですか。「けっ、回答文字数多すぎ。」と!私の良い麺も探してみてください。
バイトも楽しい面を見つけましょう。どうしても見つからなければ、そこの環境は潮時かもしれません。バイトって、バイトだけしてる訳じゃないんでしょう。
出会い、会話、学び、発見、価値あること、スキルアップ、観察、遊び…、それが全てバイトなのです。自分をやっているのです。
❝自分をやる❞ことを楽しみましょう。
自分をやることは、いつでもできるはずです。私も、今、回答しながら、自分をやっているだけです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

処理速度を遅くします

「要領の悪さや仕事のできなさばかりが目立ち・・・」とありました。一体誰の中で目立っているのでしょうか。上司?客?あなた自身?

人と比べたら悪い方にしか考えられない思考の癖が、悪い方へ悪い方へと引っ張っていきます。先輩だ後輩だは気にせず、要領がいいとか悪いとかそんなことは置いておいて、ただやってみる。人の評価も関係ない。自分のできることをやってください。仕事のときに考えるそうした悲観的思考はパソコンのように処理速度を遅くし、要領を更に悪くします。もっとシンプルにただ目の前のことだけに向きあってください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ありがとうございました。物事をネガティブに考えるくせがあり、すぐには変えられないかもしれませんが、訓練して少しずつポジティブに考えられるよう癖をつけたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ