回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「空性の現量了解」
伝法寺隼人様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「無の境地」とは、何も考えない、何も無い、あるいは何も捉えない、何も捉えられないという虚無、絶無のことではなく、用語的には、「無分別知」として、分別を介さない直観認識による能依のありようの境地のことになるかと存じます。それは、つまり、「空性の現量了解」の境地であると言えるのではないだろうかと存じます。
また、以前の回答の中でも述べさせて頂いておりますように、「その境地は、勝義知、一切知、あるいは、如量知、如実知などとも言われるものとなりますが、空性を現量で了解しながらに、如実に真実を覚知されておいでである境地と考えられています。」として、あえて表現するのであれば、「ご覧にならない仕方で、ご覧になる」という境地となるのではないだろうかと存じます。
問い「悟り」
https://hasunoha.jp/questions/16687
その「無の境地」としてある「空性の現量了解」へと至るためには、上記の回答でも述べさせて頂いておりますように、仏道における智慧と福徳という二つの資糧を集積していくことにより、煩悩障と所知障を確実に断滅させることが必要となる次第でございます。
しっかりと仏道に取り組むことにより目指して参りたいところであります。
川口英俊 合掌
前回のご質問も、今回のご質問も、過去にたくさん答えが出ています。
過去の問答を確認した上で、質問を入れて下さいね。
例えばご質問に対する過去の回答はこれ。
https://hasunoha.jp/questions/5575
(この下にも「関連する問答」としてたくさん出ています)
うーん、なぜこのようなご質問をされるに至ったのか、新しく質問を立ててもう少し詳しく教えてください。