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浄土教はあの世のための教え?

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阿弥陀如来の本願によりたのみ、感謝してお念仏を称えれば極楽浄土に往生できる、これはわかります。

しかし、この世で生きてる間に正定聚に入ったとして、それで苦しみを感じないような境地に至れるものなんでしょうか?

聖道門には六波羅蜜がありますが、六波羅蜜を行ったところで苦しみを逃れられない、というのはわかります。ただ、苦しみとの向き合い方はわかります。

浄土教ではこの世の苦しみとの向き合い方について、どのように教えてらっしゃいますか?

いま浄土門のみ教えについて調べており、純粋に疑問だったので質問させていただきました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教の捉え方、お経の解釈の仕方などは、人それぞれです。また、同じ人でも若い時と年配の時では違いますし、健康な時と病の時でも違うでしょう。ですから正解というものは無いと思います。
阿弥陀仏の見方、感じ方についても同じです。
私としては、お釈迦様の仏弟子ですから、生きている時は持戒、八正道、六波羅蜜などの修行を自ら出来る範囲で行うことは大切なことだと思いますし、そのように努めています。しかし不完全ですし、おそらく悟りには至れそうにありません。なので、阿弥陀仏にお願いして極楽浄土に行き、そこで修行の続きを行い完成させて悟りに至る、つまり仏と成る予定なのです。
そのために日頃から念仏をお唱えしています。
また、このように思って生きること自体が実際に多くの苦しみを取り除いてくれています。
13年前に私より先に極楽浄土に修行に行った弟といつかまた極楽浄土で会える、共に修行出来る、そのような希望が持てるのは浄土教だからこそではないかと私は思うのですよ。
南無阿弥陀仏

追記
それと、八正道も六波羅蜜も正しく行えば苦しみは無くなると思いますよ。ただ、煩悩の多い私には難しいことではありますが。
ちなみに私は八正道の事が書かれている阿含経典もよく読みますよ。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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最初から諦めてしまわずに・・

七草様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

迷い苦しみは、因縁(原因と条件)[特には、無明(根本的な無知)と煩悩と業]によるものであり、しっかりとその迷い苦しみを無くすための因縁(仏教修習)に取り組められれば、迷い苦しみを無くすことができるというのが、仏教の根本原理としての「四聖諦」となります。

その迷い苦しみを無くすための因縁が説かれてある教えが仏教となります。

ですから、しっかりと仏教を修習することによれば、今生においても、迷い苦しみを無くす因縁が調えられると、悟りへと至れることになるはずであります。

もちろん、そう簡単ではないのですが、最初から諦めてしまっては何も変わりません。例え少しずつでも、これから幾度も輪廻を繰り返す中でも、善い赴きへと向かえるように調えて参りたいものとなります。

浄土門において、極楽への往生を目指すところも、阿弥陀如来様から直接にお教えを賜ることで、仏教をしっかりと修習することにより、悟り・涅槃を目指すためであるかと存じます。

しかし、いずれにせよ、目指すところは悟り・涅槃として、極楽にて仏教修習に頑張るとしても、今生においても、迷い苦しみを無くすための仏教修習は、現実的な迷い苦しみに対処していくためにも、できれば聖道門、浄土門のいずれにもとらわれることなく努めて参りたいところであると、拙私見ながら考えております。

また、悟りへと向けて、極楽で積める功徳と、この娑婆世界で積める功徳とでは、かなりの隔たりがあるとも。成し難い後者における方が、より悟りへと向けた効果的な功徳が可能であるともされます。(楽な世界では、怠惰・怠慢となってしまうのは、天界と同様に極楽でも変わらないところがあり、あえて楽な世界では功徳を積もうとも思わなくなってしまうことも。または、利他の功徳(福徳)を積むことのできる対象が、天界や極楽では娑婆よりかなり少なく、積みたいと思っても積めないということも。これはあくまでも拙推論の域の話も含みますが・・)

とにかく、現実に悩み苦しみがあるのであれば、それを後回しにするのではなく、できる限り聖道門、浄土門に拘らずに仏教修習によりて対処して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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生死ともにわずらいなし。転重軽受。

仏教は、悩み苦しみを消したり制御したりする教えだと思います。では、浄土門は、どのような場面でどのような悩み苦しみに対処することにつながるのでしょうか。
結論としては、それは、念仏者一人ひとりの考え方次第なのです。
ですが、一例を挙げたいと思います。

「生死ともにわずらいなし。」
法然上人は、(念仏者は)生きていれば念仏の功徳が積もるし、死ねば浄土に往生できるので、生死ともにわずらいなし、だと言われたそうです。

「転重軽受」
念仏者は、たとえば病気や災害に遭ったときに、「本来ならもっと重い被害を受けるところを、阿弥陀様のおかげでこの程度、で済んだ。」と受けとめるのです。

「念仏できれば合格人生」
法然上人は、念仏者は、念仏できるように生きなさいと言われました。たとえば、出家した方が念仏できるなら出家する、とか。ということは、念仏できていればその生き方はOK、合格人生だと考える(安心できる)とも言えます。
念仏という切符を落としていないか確認する。念仏できればその人生はOK。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

聖章さん

なるほど…確かにそうですね。ありがとうございます。

浄土宗では般若心経をお唱えするんですね!?浄土真宗ではお唱えしないと聞いて、てっきり浄土門すべてで般若心経は用いないとばかり思っていました。

願誉さん

なるほど!よくわかりました。ありがとうございます!

川口さん

確かに、浄土門と聖道門どちらにもかたよらないことも大切かもしれませんね。ありがとうございます。

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