不思議なお寺回答受付中
ある日蓮宗のお寺のお話です。
かつては真言宗だったのが影響で他宗派で信仰されている神仏も祀られているところが日蓮宗としては珍しいことです。
そこでは、他宗派の仏具や他宗派で信仰されている仏像、他宗派の位牌の開眼供養も引き受けて下さいます。
例えば、法華経による木剣加持で開眼された不動明王像を密教の信者が般若心経や真言を唱えて拝んだり、浄土宗の信者が念仏を唱えて拝んだりすることに対して、他宗派の僧侶の皆さんはどのように思いますか?
私は真言宗の信者ですが、他宗派のお寺や他宗派で開眼された仏像も金剛合掌をして真言を唱えていましたが、後からなんだか気になり始めました。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あまり気にされることはないと思います
宗派や儀礼次第はあくまで尊崇礼拝する人間側の都合で、尊格の関知するところではありません。
外国車の買い物に例えると、正規代理店だったり並行輸入だったり個人だったり、輸入や販売の店が違っても実際に手元に届く車に違いはなく、どのように乗るかは購入者の考え方によるのと似ています。
あくまで礼拝する人間側の意志次第ですから、あまり気にされることはないと思います。
礼拝対象スイッチのオン
ただの物体を礼拝対象とするためのスイッチをオンする儀式がありますが、その作法は宗派や地域の文化・慣習により様々です。
要は、拝む人の意識のスイッチをオン・オフすはりことができれば、どのような作法でも目的は果たせるのです。
なので、他の宗派のものでも受け入れているそのお寺は懐が深く、また合理的であると思います。
それぞれのお寺には様々な歴史があります
拝読させて頂きました。
なるほど、あなたがそのお寺を不思議に思っていることを読ませて頂きました。確かに不思議に感じるかもしれませんね。あなたがそう思うのももっともかと思います。
それぞれのお寺の歴史は実は様々です。それぞれのお寺には様々な変遷がありますからね。
ですからそれぞれのお寺が建立された時の宗派とは現在違っている場合はとても多いです。実際に改宗しているケースはとても多く存在しています。
ですからかつての宗派での仏具が残っている場合もとても多いと思います。
またそれを受け継いでいるお寺もけっこう多いのではないかと思います。
日蓮宗のお寺でそのようになさっているケースはなかなかないかもしれませんが、そのお寺のご住職さんのお考えで様々なことをなさっているのであれば特に問題ないのではないかと思います。
それぞれの宗派によって本山からの統制もありますけれど、それが厳しい場合もあればとても緩い場合もあります。またその時代によっても大きく違っているでしょうからね。
同じ仏教であり、仏教には八万四千の法門があると言われているのですから様々な教えや法式のあり方があってもいいと私は思います。