勉強しないと怖いからするの?
私はとある資格試験を控えています。
やる気はないですが、やらないといけないので仕方なくやってます。
世の中には、コツコツと、ずーっと勉強できる人がいます。そういう人は、人よりも勉強しないといけないという強迫観念や恐怖心が強いのでしょうか?
学歴のある人と接すると、大抵は「勉強をしないと」という恐怖心が湧くために勉強すると言うのです。
私の母も勉強ができる方で、今も昇格試験の為に、仕事が終われば勉強をしています。母には「あなたは勉強しない時に不安を感じないの?」と聞かれます。
私は心配性ではあるのですが、人よりもお尻に火がつくのが遅く、試験直前に知識を詰め込むタイプ。勉強は苦手です。
1年前に仲良くしていた、旧帝大を卒業した男性に「勉強をしない君を見ていると、僕も不安になる。勉強しないなら、会わない」と言われた事もあります。
先日、縁の切れた男性は、医学生だったのですが、私とデートしている時も隙間時間があれば勉強していました。彼は「とにかく勉強しないと」と思うらしいです。受験勉強は楽しくなかったけど、医学の勉強は楽しいそうです。
後者の彼みたいに、勉強が楽しくてしている人もいるだろうけど、大抵の人は、強迫観念や恐怖心から勉強しているんじゃないか…と思うのです。
漠然とした質問になってしまいましたが、勉強ってそんなものなんでしょうか?
きっと、今の資格試験が終わったら、私は今の勉強をすっぽりとやめると思います。
けれど、もし私に子供ができた時、子供に「お母さん、なんで僕は勉強するの?」と聞かれたら、「しなきゃいけないから。お母さんもそうしてきたよ」としか、答えられない親にきっと私はなると思います。
それでいいのでしょうか?
心配性だけど冒険好き
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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理不尽さへの耐性
こんにちは。私は勉強、好きな方です。だって勉強というのは、努力すれば結構きちんと結果が付いてくるから。勉強って、その意味でかなり「思い通りになる」事なのです。
一方世の中は、理不尽なことが多いです。「なんで??」と言いたくなる事が沢山。でも渡って行かなきゃいけない。実は、その「理不尽さ」への耐性をつける事が、勉強の1つの意味じゃないかと思います。
これは本当に理不尽なのか?不思議としか言いようのないことか?自分の力で何とかできることではないのか?その見極めが、「あれだけやったけどダメなら仕方ない」になるのです。精一杯努力したから、諦めもつく。
どうにかなる事は努力してみる。どうにもならないことは、それとして諦める。それって、悔いのない生き方に繋がっていると思いますよ。
正しく生きる為
拝読させて頂きました。
そうですよね、何で勉強しなければならないのでしょうか?と考えますよね。子供の頃からもそう思いましたし今もそう思います。
とはいえ私達はこの世に生を受けてきたのは何故でしょうか?
この世を正しく生き抜いていく為ではないでしょうか。
私達は生まれてきた時には何も知らない無知な存在です。
右も左もわからない正しいことも誤りもわからない存在です。
ですから多くの間違いや迷いがあるのです。ですから生きることも大変なのです。
それを乗り越えていく為にはやはり学ぶことが大切です。
多くのものは己れの無知や愚かさ故に間違いを犯し、誤った行い故に苦しみ怒り憎しみ貪るのです。
お釈迦様は無明とおっしゃっておられます。
正しい智慧の光がなければ私達はただ暗闇の中を永遠に迷い続ける存在です。そして永遠に流転し続ける存在ですからね。
だからこそ私達は正しく学んで生き抜いていくことが大切なのです。
いい大学を出ることが目的ではありません。
私達が人として正しく生きていく為に学ぶことが大切なのです。
私もそうですこれからも学ぶことが大切かと痛切に感じます。
あなたもこれからどうか正しく学んでいかれてこの人生をしっかりと生き抜いて下さいね。
少年老い易く学成り難しですからね。
質問者からのお礼
ありがとうございました。色々考えさせられました。