つい友達を羨ましく思ってしまう回答受付中
私が通っているのは、少し背伸びして頑張って入った高校なので頑張って勉強してもテストの平均点にもなかなか届きづらいです。
もちろん自分の努力が大切なのはわかっています。しかし、お金持ちの子が集まるような所ではないはずなのですが、クラスの半分以上の子にピアノの経験があったり、いい得点を取っている子たちの親御さんはかなり高学歴だったりするため、なかなか自分の努力が足りないと認められません。
我が家はお金持ちではないし、親は高学歴でもないし、賢くもないし、私への風当たりは強い。だから家は私が何を言おうといつもうるさい。だからできないんだと思ってしまいます。その子たちができるのは地頭の良さと家庭環境のおかげなのではないか、と思ってしまいます。
実際そういう面もあるとは思いますが、もっと前向きに物事に取り組みたいです。どうすればいいのでしょうか。
お坊さんからの回答 4件
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あなたがしたいことを精一杯にやればいい。未来を支える力になる
成績の数字だけでなく、育ってきた環境の違いも肌で感じるのですよね。羨ましいし、やっぱりずるいなって思ってしまいますよね。
学校だけでなく、あなたがこれから社会に出ていく中で、自分に無いものを手にしている人、生まれた時から恵まれてきた人にも出会っていくでしょう。頑張っても頑張っても敵わないってこともあるかもしれない。
そこを見て、自分を下げてはいけないよ。
それは、その人の一部。私の一部なのだからね。初めから競う必要なんてないのよ。試験やテストでは、数字が出るけれど、それは今の自分に対する結果なわけだから、周りと比べることなく、自分の目標にしていけばいいのよ。
高校生活。毎日よく頑張っているわね。あなたが高校に通っていることが、まずは嬉しいわ。そして、試験の結果に落ち込むことがあっても、頑張って勉強をしていることも嬉しいわ。
将来、何になりたい?そんなビジョンを持ち、歩いてくれたらいいなって思うわ。私が親なら、そんなわが子と一緒に生きていけるだけで幸せだし、応援したいわよ。
今あなたがしたいことを精一杯にやればいい。お勉強も自分のペースで、ちゃんと卒業できるように頑張れたら、それでいいじゃない。将来の目標があれば、そのためにまた頑張ればいいのよ。今の勉強は、あなたの未来を支える力になるわ。そのための学びだからね。そう思って、また頑張ればいいのよ。
果物のようにふるいにかけられれば良い
大量に生産された果物のみかんは、選果場という場所に集められて、粒の大きさや見た目などで分別されます。
同じ品種の物でも、MサイズやSサイズとか、特A級とか区分されるし、同じ品種であっても一定レベル以上のものだけが名乗れなるブランド名もあります。
あなたは、無理してSサイズからMサイズになる必要はありません。
学校という選果場で、与えられた地頭や財力の範囲内で、自分にできることをできる範囲でやれば良い。
だって、どのみちできることしかできない人生なのですから!
学校や社会等の選果場で「どうぞ私を分類して、私に合ったブランド名を付けてください、私は自分にできる範囲の姿を見せるので、よろしくお願いします」と、社会にお任せしちゃえば良いのです。
生まれながらの個人差は必ずあります。
地頭が悪いけど塾に通えるお金持ちと、地頭は良いけど塾に行けない貧乏人とが、結果的に同じ成績で同じ会社に就職して同じ年収だったら、どっちが上とかじゃなく、親からもらったものの総合得点は同等だったということです。
努力を継続的できる集中力や体力・健康だって才能のうちであり、天才だけど集中力が続かない人もいるでしょう。
容姿や体格や運動神経も個人差があるし、食生活によっても発育は変わる。
ぜーんぶひっくるめた総合得点、今の時点のあなたを、選果場(社会)に投げ出して「分類(採点)はお任せします、よろしくお願いします」と出荷するだけで良い。
みかんや苺になったつもりで、ふるいにかけてもらいましょう。
これから成長していくのです
拝読させて頂きました。
あなたは高校に入って周りの子達が勉強出来たりピアノが弾けたりしてつい自分と比較してしまい人のことがうらやましく感じてのですね。そして自分のことや家庭のことを卑下したりおとしめてしまうのですね。詳細なあなたや周りの方々のことはわからないですけれどもあなたのあなたのそのお気持ち心よりお察しします。
確かにあなたの周りには勉強ができたりいろんなことができて優秀な方々がいらっしゃるのかもしれません。あなたがその子達のことを見るとうらやましく感じたりするのももっともかもしれません。あなたがそういう気持ちになるのも自然だと思います。
とはいえ身近にそういう方々がいらっしゃるということはあなたにとってもとても刺激になり目標になり励みになっていくと私は思います。あなたも周りの方々も日々勉強をしながら変化しているのです。身近にあなたが目指すような目標がいるのはとてもいいことです。
ぜひその様な環境で学ぶ機会を得られたことを喜びながらあなたなりに頑張ってみてはいかがでしょうか。あなたの人生も周りの方々の人生もこれからですしとっても長いのです。「急いては事を仕損じる」ですから決してあわてないでじっくりとこれからに向き合っていろんなことを経験して学んでいって下さいね。
あなたがこれからの未来を本当に素晴らしい出会いに恵まれてあなたらしく学んでいき健やかにご成長なさっていきます様に、沢山の素晴らしい経験を積んで心から豊かに充実した毎日を生き抜いていかれます様に切に、多くの方々とご縁を深めながら心から幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させ頂きます。至心合掌
ただ今を精一杯生きること、生きようとすること
こんにとは。亀山純史と申します。
学校生活に限らず、社会人になってからも言えることですが、集団での生活をしていると、つい自分と他人を比較してしまうことがあります。そして、その比較から苦痛が生まれることもよくあることです。
そこで私からのアドバイスです。それは、「他人との比較も、また過去の自分との比較もせず、ただ今を精一杯生きる」ということです。(言うは易く行うは難しですが。)
私たちは、どこに自分の価値基準を置くべきでしょうか。他人との比較に基づいて自分の価値を見出そうとするならば、その生き方は他人に依存し、他人を通して一喜一憂する生き方となります。また、過去の自分との比較ですが、普段の生活においては、昨日の自分よりも今日の自分、そして今日の自分よりも明日の自分が成長していることを目指すことは、何も悪いことではありません。しかし、それは何もない平凡な生活を過ごしているときに限ります。もしも、ある日交通事故に遭い、思うように体が動かなくなったり、病気になって様々な面で制限がかかったりした場合はどうでしょうか。元気だった過去と比べることで、悲しくなるだけではないでしょうか。
ですので、今を精一杯生きること、あるいは、うまくできなくても、今を精一杯生きようとすることが、あなたを幸せにしてくれるのではないか、と思っています。そうして、そのような生き方をしている自分自身を、あなたが認めてあげる、肯定してあげることが大切でしょう。
以上が私からの回答です。是非、有意義な高校生活を送ってください。