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忌日、回忌の「忌」に違和感

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仏教に限らず宗教が具するテーマには、如何にして必然必至の死を受容するか、超克するかということがあると思います。
にも関わらず、人の死んだ時にからんで「忌日」とか「回忌」など「忌まわしい」という字を使うことには違和感があります。
死や血を忌まわしいもの、汚らわしいものとするのは神道の思想のような。
また、各宗祖が亡くなった時をも指して「遠忌」と呼んだりすることがあると思いますが、僧侶のかたはこれには抵抗ないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

己の心と向き合う時間

無有民さま
なごみ庵の浦上哲也です。

いや、まさに仰る通りで、私も以前「忌」の字に違和感を感じていました。仏教では死は忌み嫌うものではないですし、特に私の属する浄土真宗では、仏さまになるということで悲しくも喜ばしい事という受け止め方もあります。

気になった当時に調べてみたのですが、文字の本来の意味としては、「きらう」ということだそうです。それだけであれば、確かに人が亡くなるのは悲しい出来事ですので、それを「きらう」というのは分かります。

でも神道では死や血を「ケガレ」として忌み嫌うと聞きますので、「忌」の文字には単に「きらう」よりも強烈なイメージがあります。ですので「回忌」や「遠忌」という言葉に、私も無有民さんも違和感を感じたのではないでしょうか。

とは言っても、一般的に使われている言葉を変えるのも難しいので、「〜回忌」という表現は使っています。ただ法要後の法話でよく話すのは…

「『忌』という言葉は『忌まわしい』と訓読みしますが、仏教ではけっして死を忌み嫌う事はありません。私は、身内が亡くなった時はさまざまな事を自分自身に問いかける大切な機会だと思っています。なので『忌』を上下に分解して『己の心』と捉えています。葬儀や法事は、己の心と向き合う時間なのではないでしょうか」

という内容です。本来の文字がそういう意味であるかは別として、私としてはこのように考えて、またお話をしております。
ご参考になれば幸いです。

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有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

忌とは何を忌むのか

忌とは仏法以外の事を忌むということと受け止めています。
普段は娑婆(世間)のことに振り回されていますが、満中陰(四十九日)までは娑婆の事に振り回されず仏法、仏縁にしっかりと向き合いましょうということ。
玄関に忌中とあるのは、家の方がせっかくその時間をとっているのに来客などがくると無視はできないから対応するとなるとやっぱり世間に振り回されてしまいますね。だから現在に忌中と張り紙をして来客がそれを察して来客することを控えるのです。

御遠忌法要や年回忌なども、同じく大変なご縁ですから世間のことはしばらく置いといて、この時を大切にする、世間の煩雑な事にながされず法縁を大切にするという意味を込めて忌という字を使ってあると受け止めています。

忌とわいまわしいと呼ばず、何かを嫌うということでしょう。何か嫌うということは何かを大切にするということ。
己を忘れることを嫌い、己にであうことを大切にするということと言えると思います。

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有り難し
おきもち

私達は本当に悩んでいる事は、なかなか相談する事ができませんよね、私も10年ほど精神病に苦しんでいましたが、自分に向き合ってくれる人が1人いるだけで心が軽くなるものです。 仏様のお心に支えられながら、あなたのお悩みに応えていきます。 散居村のお寺の住職です。 たまーにしかお答えしていませんが どうぞよろしくお願いします。

ただの記号

もともとの漢字の意味はおっしゃるとおりですが、遠忌などと言う場合は、「忌」は亡くなった人に供養する法事のことをさす記号、にしか感じません。
ただの呼び名として定着してるから、まぁそれでいいか、と思います。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

浦上様、有り難うございます。なるほど、意味を読み替えて現状の使い方を受容するというのが現実的(伝統的?)な対応かも知れませんね。しかし、現状や伝統に疑問を持って仏教らしくしていくような流れが僧侶から起きてもいいようには思いました。

光圓寺様、仏法以外の事を忌むとのご教示、有り難うございます。なるほど、他の死事をご縁として、自己の無常、死を今に問えば、日々、忌中ということにはなりますでしょうか。

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