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大丈夫?

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有り難し有り難し 29

この前心霊スポットに行きました。
橋なんですけど、自殺の名所ですごく有名な場所なんですが、そこを渡っている途中に動かなくなり「さすがにやばい」と思ったときに、車が来て
ライトに照らされた瞬間、体が動けるようになりました。近くのコンビニまで連れてもらいましたが、果たして大丈夫でしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

幽霊の正体はインナー幽霊 

思うこと、思えたこと、思ったことは真実以上の働きをなすことがあるものです。
思いのチカラが強い人は、仮にほかの人には見えなくても、思いのチカラが強いために、そこにないものをみたり、そういうものを信じ込んで本当に結果的にそういう気持ちになってしまうものです。
だらかこそ、自分の思いというものを自身でよく見破る必要があります。
現在おっさん(わたし)は40過ぎですが、人生自分を苦しめるのは幽霊でも魔物でも妖怪でもなく内なる自分の思いだけです。
それが幽霊的、魔物的、妖怪的な働きになって自分の心に憑りつくということだけです。
だからこそ、自分の思いに騙されずに、自分の心を良く見つめ、湧いてくる思いに騙されないように生きましょう。 
思いと完全シンクロすると人間は動けるはずでも動けなくなります。
一種の暗示、自己催眠です。
それがライトに照らされ事実によって解除されたのでしょう。
それくらい思いのチカラというものは強いものです。
時には十数年間、心を病としても蝕むことがあるのです。
現実と夢醒め心地で頭の方で考えていることはニセモノであることを見破ってください。
たとえば、武蔵と小次郎の対決の時、なかなか現れない武蔵に対して小次郎が相手にしていたものは何でしょう。人にはそれぞれ内なる幽霊的な働きが存在するのです。
それに心乱されないようにしましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大丈夫ですよ

拝読させて頂きました。
大丈夫ですよ。
どうぞ気になさらずに穏やかにこれからもお過ごし下さいね。
宜しければお念仏おとなえなさって下さいね。
全ての方々が仏様の慈悲と智慧の光に導かれて救われて参りますようにと仏様に心からお願いなさり、お念仏おとなえなさって下さいね。
南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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