回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大丈夫
情けなくなんてないですよ
半分も、生きたい気持ちがあるんです。
素晴らしい事ですよ。
何も考えず、ただ、立ち止まってみましょうよ。
『 楽 』とは、一つになる、と言う意味です。
マリーさんは、多くのものに守られています、だから、大丈夫。
どちらもあなたです
死にたいと思う自分がいる。
しかし死にたくない、と自分の気持ちに否定的な感情も沸き起こってくる。
そんなジレンマに陥り、苦しんでおられるのかな、と私は感じます。
死にたくないと思うのは、本来人間の自然な感情です。
しかし、その自然な感情を「死にたい」と否定してしまう自分がいて、、、
でも、よくわからないけど死にたくないという、人間本来の感情も出てきて、情けなくなる。
死にたくないと思うのは、あなたの自然な感情です。
マリーさんには、生きたい自分があり、でも死にたい感情があるのも事実です。
まずは、自分の感情を両方受け容れて下さい。
ただ、「死にたい」という気持ちは、どこから出てきたのかを考えてほしい、と私は思うのです。
「何もしたくない、考えたくない」「一歩踏み出す気にもなれない」「自信がない」「否定的な感情しか出てこない」・・・
何か要因は見当たりませんか?
マリーさんは頭の中で闘っておられるのかなと、私は感じます。
だから死にたくないと思うのかな、と。
幸せは歩いて来ません。
しかし、歩いても見つからない時は、まだそのタイミングではないのです。
無理しなくてもいい。
心静かに過ごしていれば、自分が楽に生きる瞬間が来ます。
人生にはタイミングのようなものがあります。
少なくとも私は、実感しております。
幸せみたいなものが近寄って来た時、その方向へ歩いて行ってください。
なにか意味のあるものが、転がっているかも知れません。
そのような時もあります
拝読させて頂きました。
私もそう感じて生きています。
あなたのそのお気持ちを心からお察し申し上げます。
先ずは一呼吸なさって心を休めてくださいね。
そして少しずつ心を穏やかなお気持ちになさってください。
そしてそのような自分であることを少しずつ少しずつ受け入れてください。
一生懸命に生きる自分もあり、全てを放棄してしまいたい自分もあり、後悔が降り積もる自分もあります。
こんなことではないと否定する自分もあります。
そのような絶えず揺れ動く心情を持って生きている自分であることをどうぞこれからゆっくりと受け入れてください。
フッと心が軽くなる時もありますし、おもりのようにのしかかる時もあります。
またふとした何気ないキッカケにから心身ともに楽になる時もあるのです。
あなたのお心が穏やかに軽くなり、心身ともにお健やかにご生活なさっていかれますようにと心からお祈り申し上げます。