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車で動物を跳ねてしまいました

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

先日、夜、車を運転中、道路に飛び出して来たネコか狸かを、車で跳ねてしまいました。ただ、見に戻る事も出来ず、そのまま帰って来てしまいました。
申し訳なさが、日に日に重なり、とても落ち込んでいます。
心の中で、ごめんね、ごめんねと唱える事しか出来ません。
どう、したらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いのちの事実

それはショックな出来事でしたね。驚いたことでしょう。

まず申し上げますがその動物があなたを呪うなんてことはありませんからご安心を。

その動物はあなたに「いのちの事実」を告げる仏様のはたらきとなり得ます。これを良縁として手を合わせていきましょう。

今回気がついたのはその引いてしまったいのちですが、本来私たちは車で走れば無数の虫を殺してますし、今日食べたご飯だっていのちです。私たちが生きるための様々な製品にも動物実験の背景があったりします。

私たちは自分の心にとまる景色にしかなかなか思いを馳せることが出来ませんが、私たちは自分が気にもとめることのできない無数のいのちのおかげ様で生きています。

そのいのちを無駄にせず、よく生きましょう。「よく」とは何か、誰かと比べて「より良い」ということではありません。
りんさんだからこそのよい生き方を。

その中で、いのちの事実を教えてくれる仏様のはたらきと、それを見失いそうになる私の現実と、二つを一つに合わせて合掌するのです。

合掌

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

ありがとうございます。心の荷が少しおりました。おっしゃる通りですね。ただ、自分に遭遇した事には、心揺さぶられるほど動揺し、命の大切さや、儚さをおもいきり感じさせられるのに、小さな虫や、食べ物全て、命を頂いているのだなと思いました。今回の出来事で、仏様は、私に命と言う事を考える機会を与えて下さったと思い、前を向いて、私らしく生きていきたいと思います。ありがとうございました。

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