地獄はあると思います。
私は、小さい悪をまき散らしていて生きている人を知っています。自分を見返らないくせに、人の土俵で相撲を取る人、今の白鵬もそうでしょう、ぶちかましの前に、先に平手、、、そんな人物が訳のわからない花束を持った人物に、もてはやされている、、相手の廻しも取らないで、あほみたいでくだらない、殴り合いして土俵から出たほうがよっぽどすっきりしますよ、、、まるで相撲の土俵が日本の社会の縮図に、見えて仕方ありません。全員がどんな手を使ってでも勝っていいという、そして、悪人も極楽浄土に行くという、そんな発想教えは理解できかねます。地獄があって当たり前だと思います。死人に口なしですね。地獄があるという仏教は、何処の宗派ですか、、、教えてください。前の意見も見たのですが、はっきり答えたところはなかったと思います。間違っていたらすいません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お相撲さん達も、そしてあなた自身も、今のその精神状態が地獄そのものなのではないでしょうか。
仏教の三宝である、仏(明るく)、法(正しく)、僧(仲良く)を心に据えて、貪瞋痴を捨てて気持ちを落ち着かせ、そして今取り組むべきことに専念する(禅定)、そうすることで皆さんが今の地獄から抜け出ることを願っています。
仏教における地獄とはおおよそそういうことです。
あなたも今の相撲界、そして日本社会の行く末が心配なのでしょうね。私も同じです。
ですが、私達にできることは、私達がやるべきことを日々コツコツと精一杯やっていく、それだけしか無いと思うのです。
それにしても、相撲の在り方、勝ちにこだわるべきかどうか、多少の八百長は興行を盛り上げる為には必要かどうか、など、色々矛盾する点もあり難しいところですね。
仏教的には勝ち負けの決まる争いはするなということになるのですけどね。
「一水四見」
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
地獄は心の投影として、例えば、「一水四見」として、ただの同じ水を見ていたとしても、私たち人間にとっては、馴染みとしての「水」であっても、天人にとっては宝石のようなものとして映り、魚にとっては当たり前の住処のようなものとして映り、餓鬼にとっては火の海として映るなど、それぞれで捉え方が異なってしまうものとなります。
喉の渇いた中での砂漠における泉の水は、まさに極楽になりますし、溺れる者にとっての水は、まさに地獄となる・・
心が映えるものを投影するのであります。内も外も、モノ・コトは、全ては縁起し空であって、それで一切平等にて変わりはありません。
心が平安であるものにとっては、この世界は平等に内も外も平安であるのであります。
その心の平安をつくっていくための教えが仏教となります。
しっかりと仏教を修習して参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
わかりました 気持ちを落ち着かる 心の平安 ですか、ありがとうございました