男性の水子供養について
主人は私と結婚する前にお付き合いしていた女性との子供を中絶しています。
30年ほど前のことです。
この2年、主人の仕事がうまくいかず給料は減り、主人の両親は追いかけるように亡くなり、何をやってもうまくいきません。
日々感謝が足りないのかもしれない。
それならもっと感謝をしようと努めてるのですが、何も変わってません。
そんな中、主人の水子の存在を思い出しました。
もしかしたら主人が水子の供養をちゃんとしてないから?と思い始めています。
どうも心に引っかかるのです。
相手の女性が供養したのかしてないのか、主人は知らないそうです (30年ほど前に聞きました) 。
主人は水子の存在すら忘れてるように見えます。
男性も供養した方が良いのでしょうか?
因みに私には水子はいません。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
水子ではなく…仏様でいらっしゃいます。
『供養をしていないからと、30年を経て今ご主人やあなたに災いをもたらそうとしている』…ならば、水子とは何と恐ろしい存在なのでしょうか。
…ならば、供養をして頂くにも「相当の霊力を持ったお方、御住職」にお願いしないといけませんね。でないとその場は納まっても、あと10年も経つとまたあなた方ご家族に何やかを…ということが無きにしも非ずです。
供養と言えば聞こえは良いですが、実際は鎮魂、いや成敗(せいばい)、やっつけること と同義ではありませんか。一度ならず二度までもその小さき命を奪おうとする…それが水子供養の本質ではありませんか。
浄土真宗では水子供養をしないという意味はそこにあります。
『この2年、主人の仕事がうまくいかず給料は減り、主人の両親は追いかけるように亡くなり、何をやってもうまくいきません』とおっしゃいますが、それは本当に水子のせいなのですか…あなたが勝手にそう思い込んでいる、水子に責任を押し付けているだけではありませんか? 自分達には責任はない、問題点はない…原因は水子にあると考えた方が楽だから…。
ここではっきりと申し上げますが、水子と、あなたの今置かれている状況とは全く関係がありません。仏教のいう因果の道理に反するからです。
『日々感謝が足りないのかもしれない』…とおっしゃいますが、感謝は感謝でしょう。どうもこの言葉の裏に「感謝という行為によって、ご自分が利益を得ようとしている」ことを感じるのです。それは感謝ではなく、祈願であり、また感謝という行為を元にしての「神仏との取り引き」に他なりません。それは神仏を貶める行為です。
水子は存在しません…既に尊い仏様とお生まれのお方です。その上で30年間に渡り、幼子ではなく仏様として、旦那様をまたあなたを支え導き続けて 下さっておられたのです。
そのこと今一度しっかりと頂いて下さい。
そして、水子といわれるようなお子様がいらした事実は事実として認め、懺悔の思いは忘れず、その思いを通して、今は仏としてご夫妻を導き続けて下さっていらっしゃることを頂戴なさって下さい。その上で仏様にお手を合わされつつ、それこそ本当の「感謝」の日暮らしをなさって下さいませ。
厳しいことばかり申し上げましたが、辛い思いでいらっしゃるあなた方ご夫妻にこそ、仏様がずっと寄り添い続けて下さいます。
質問者からのお礼
小林 様
ご回答ありがとうございます。
私の水子に対する認識や考えが間違ってました。
水子は仏様になられてたんですね。
私たちを導き支え続けて下さってるなんて思いもしませんでした。
今日から仏様に手を合わせます。
とてもスッキリしました。