私の嘘
初めて質問させて頂きます。どうぞよろしくお願い致します。
3年前、数ヶ月の間馬鹿な私は不倫をしていました。その際、不倫相手に「夫から精神的、肉体的虐待を受けている」と大嘘をついてしまいました。
不倫相手と縁を切って以来、懺悔の毎日です。特に最近はこの気持ちが強くなってきました。今はもちろん連絡も取っておらず、飛行機なしでは会えない距離にいます。
ここから質問ですが、不倫相手に「夫の事は嘘でした。ごめんなさい」とメールを送りたくなります。それは今更ですがして良い事でしょうか。
なぜなら何も知らない夫に、本当に申し訳なくて、私の、夫の、不倫相手のご先祖様やほとけ様にもまで嘘をつき続けているような気がして罪悪感に苛まれます。不倫相手が夫の事を私の嘘で誤解するのも辛いです。(今後一切会いませんが)話したら消罪となりますでしょうか。それとも私はこれが不倫の代償と思い、一生懺悔を続ければご先祖様や夫、不倫相手は許してくれるのでしょうか。
仏教の教えから心の整理がしたいです。きちんとし、前に進みたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
滅罪の利益
それはご先祖様や夫、不倫相手があなたを許してないのではないでしょう。
あなたがあなたを許していないのでしょう。
だから謝って消罪して楽になりたいのでしょう。
それは誰のための謝罪でしょうか?自分が楽になるための謝罪ではないでしょうか?
懺悔とは自分が楽になるために罪をなかったことにするものではないでしょう。人間は楽を求めて苦しみます。
そうではなく、罪をいよいよ引き受けて歩むこと。苦を私が受ける不当なものとして排除するのではなく、私が受けるべきものであったと苦を主体的に引き受けるところに苦が活かされていく道としての楽が開けてくるのではないでしょうか。
滅罪とは罪がなかったことになるのでなく、罪を問題としないことです。それは仏様のはたらきです。
仏様は罪の重さを私たちに知らせ、まだ造らぬ罪は避けさせ、造った罪については背負わせ許す。許すというのは罪を許すのでなく、罪を抱えた私を許す。罪深い我らをそのまま救うとおっしゃるのが仏様の滅罪の利益です。
つまり滅罪とは私の側の問題ではなく、仏様の側の問題です。しかしその仏様のはたらきに目覚めると目覚めないとでは私の在り方に違いがあるのでしょう。
あなたがどうしても謝りたいと言うのならそれもいいでしょう。しかし謝ることで生じる新たな苦すらも引き受けなければなりません。
今、あなたの懺悔の在り方が問われています。でも、どうあろうと仏様はあなたを救います。そのことを胸にしつつ苦を引き受けて歩みましょう。
質問者からのお礼
吉武文法さま
大切なお時間を割いての、厳しく優しいご回答、心より感謝申し上げます。
「誰のための謝罪でしょうか」という文にはっ!としました。
プリントアウトして何回も何回も読みました。これからも読み続けるでしょう。
不倫相手には連絡しない事を決断する事が出来ました。私は一生、懺悔し続け、しかし前を見ながら生きて参ります。
どうもありがとうございました。私にとりましては大きな前進ですので、有り難しクリックと、おきもちを送らせて頂きました。