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思いやりのある人間になりたいです

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自分の言動で人を無意識に傷つけてしまいます。

私の言動に思いやりがなく、その中身のない言動でよく人を傷つけてしまい、反省をしてもその言動を繰返してしまいます。

傷ついた相手のことをみていると私自身も辛くて苦しい気持ちになります。

自分自身の考えをしっかりもった、思いやりのある人間になりたいです。

どうすればよいでしょうか。。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

菩提心を持つべし持つべし

菩提心とは悟りを求める気持ちです。
こころの成長豊かさを願って高い人間性を求めることです。
菩提心を持つことで、何よりも菩提心を優先する気持ちが生じます。
怒る自分があれば、これではいかんと思うでしょう。
乱暴な言葉を使えばこれじゃいかんと思うでしょう。
そして、その心を改めようとするでしょう。
菩提心は何によって生ずるのか…、最近連日点綴ばっかりで、頭がホワンホワンして正直、最近ようわからなくなってきましたわいの。(大丈夫か)
わたしゃ、若い頃、こんなんじゃ人間終わってると思って、もっと高い人間性を求めて、悟りや真実、自分が納得できる本当のことを求めたものです。
あなたも求めればあなたが「うん。これは間違いない教えだ。」というものに出会えるでしょう。
自分が自分に納得する人生を送る。
その為にも菩提心をメラメラ燃やして、この程度で終わってたまるかちゅう精神を大事になさってください。
私もアニサキスを昨日二匹胃カメラで取ってもらってお腹が痛くて、小腸も水が溜まってお腹のあちこちが痛くてマジチョーしんどいっすけど、こうやって人をお助けさせていただくという気持ちが沸いてきて、寝てりゃいいのにこういう活動をするということは菩提心を持つということは絶対に真実なのです。誰も信じないだろうけどねぇ。
みんな自分を大事にするからいけないのです。
「私に費やさざらん」と発願し、営む。
仕事をするにもわたくしに費やさざらん。
皆の幸せの為に、仕事するのです。
あなたがもしケーキ屋さんで🎂誕生日ケーキを注文されて作ったケーキが(; ゚Д゚)🎂たまたま人生史上超うまく作れたケーキだったとしても、食べちゃったらアウトっしょ。
自分の為に費やさやざらん、和ア為に費やさざらんと願うのです。
自分の力を使って、他の人を偉い人にしてあげるのです。
それが菩提心です。
みんな自分ばっかりカワイがっちょるから人助けだって栄えていかんのですぢゃ。
まずは、その心を自覚して、下らんと思いさっさと捨て去れるようになることです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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