あきらめないようにするには、どうしたらいいのでしょうか?
あきらめないようにするには、どうしたらいいのでしょうか?
何度も何度も、同じ事で挫折を繰り返しているのに、学ぶことができません
頭が悪いのが原因です。
目標を決めて、一生懸命、頑張って生きてきたのですが
もう、どうすることもできません・・・・
生きてきて大半、病院で過ごしてきました。
楽しい思い出なんか、ありません・・・
家族もいなく身寄りもいません・・・
助言をください よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
むしろ本当に諦める。完全敗北ではなく、笑いながら完全降参。
私は昔、死のうかと思うくらいに悩んだ時、あなたのようになにか❝諦めちゃいけない❞ような特殊なものを強く持っていました。
仏教は世間でいうところの❝あきらめろ❞❝あきらめちゃダメ❞というようなアキラメを説いている訳ではなく、今の真実をまさしく、事実を見て今、ココを明らかにして、真実の姿(真理で説かれた内容)を諦めろと言っているのです。
大いに明らめてください、真実を諦めるべきなのです。
分かりやすいえば、今の自分の真実を悟り、それ以上でもそれ以下でも無いのだから、そこからできることを見出していく。
わたしは最近、日に日にブーデーです。
痩せていたころの自分とは別人でブーデーです。
ですが、その姿を私はしかと受け止め、明らかにしています。
諦めています。ブーデーであることを反発しないのです。
明らめたブーデー、諦められたブーデー。
ですが、お金があればライザップに挑戦もできます。敗北ではないのです。
笑いながらの降参、なのです。
両手手放し。頭の手放し。
自分で握っている変な理想のようなものを一度、両手を挙げて完全に降参して手放しにするのです。そうすると等身大の自分が手に入るのですよ。
等身大のブーデー。これはあくまで私のことですが。
たとえが悪かったと思いますが、要は、今の自分の、自分の中の❝負❞とするものを、そのままの姿として肯定すれば、負にならなくなるという事です。
そういうものなんだ。これが今のそのままの自分なのだと、良い意味での、仏教的諦めがつくのです。高齢者の方でも、病気の方でも、明るく生きている方とは、みな、そこを明らかにされ、仏教的に今の自分の真実相を諦めているのです。
何もかも諦めてみる
全部そのままでいいじゃないですか。「こうでなくてはいけない」という理想像をつくっていませんか。
そんなものは幻想にすぎません。
そのようになるわけがない。なぜなら思考だから、事実ではないからです。
仏教は事実に即して生きれば救われる教えです。
一般的には諦めないこと、夢を追うことが美しい、正しいとされていますが、それは苦しみの原因を作り上げるだけです。
仏教は救われる教えです。
こだわりを手放し、楽に生きてください。
安楽の生活は目の前の今にあります。そのままでいいのです。
質問者からのお礼
丹下 覚元様
いつもご回答してくださり心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。
「自分の中の❝負❞とするものを、そのままの姿として肯定すれば、負にならなくなる」
そのままの姿を受け入れられたことがなく
物心着いた時には、虐待に遭っていました。
負を認める(肯定)する修行をするにはどうしたらいいのでしょうか…。
邦元様
「仏教は救われる教え 」
「安楽の生活は目の前の今にあります。そのままでいいのです。」
1日でも早く、悩みから救われるように、
仏教を勉強して苦しみから解放されたいです。
心より感謝申し上げます。 ありがとうございます。